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事務局長日誌 (事務局)                     事務局へ戻る


日      付 記               事
   
   
令和4年8月6日  原爆死没者犠牲者慰霊式
10時〜11時母校正門横の慰霊碑前で・原爆死没者犠牲者慰霊式を行いました。
本年もコロナ感染のため、規模を小さくして実施しました。マイクロバスにより現地まで案内をしました。準備から片付け作業まで生徒会を中心に、多くの先生方も協力していただき、立派な慰霊式を行うことが出来ました。
令和4年7月24日〜  同窓会員の皆さんから、多くの反応があります。
同窓会員の皆さんから、多くのご意見や宛先不明・訃報連絡などが、現在も寄せられています。 
令和4年7月21日 〜 同窓会のパソコンのシステムについて検討
卒業生の協力により、根本的なシステムの研究に入る。 
令和4年7月〜8月  原爆死没者犠牲者慰霊式準備
遺族の方や関係者に慰霊式の案内状を発送したり、式典準備に、多くの先生方にご協力をいただきました。 
令和4年7月12日  同窓会報発送
同窓会員21140人に対して、同窓会報を本日メ−ル便にて発送した。 
令和4年7月4日 〜10日 同窓会報完成本日入荷封入作業開始
同窓会報の原稿づくりに苦労しましたが、本日21400冊が完成し入荷しました。
封入作業準備 
令和4年6月10日〜  同窓会報発送準備
同窓生約21500人全員に送付するための、宛先などの資料作り作業を開始した。 
令和4年7月5月21日  本年度の常任理事会開催 
本日常任理事会が開催されました。内容は役員会をご覧ください。
   
   
令和3年10月30日(土)   広工祭開催 
昨年と同様外部からの参加は遠慮して質素な広工祭となりました。そんな中精一杯の祭典にと生徒たちは、明るく楽しそうに活動していた。
コロナの影響で昨年と同じく在校生は楽しい思い出も作れず残念である。
令和3年10月20日(水)   熊野同窓会長の対応
会長とは時々会社を訪問して連絡を取っていましたが、本日家族からの連絡で施設に入所したとの報告を受けました。以前から難聴が進み電話では会話が難しく、お会いして会話をしていました。 施設入所中はコロナの関係で面接が出来なくなりました。あれこれ手を尽くして連絡はある程度出来ています。 
令和3年10月18日(月)    電気科教材受付
安武先生がかって電気実験で使用していた、水抵抗測定箱(木製) を持参されたので小型模型室に陳列した。
令和3年10月15日(金)   卒業生から寄付
61回土木卒の土田氏から多額の寄付をいただいた。 
令和3年10月 7日(木)   体育大会開催
コロナ禍の中で体育大会が行われました。昨年と同様の体育大会でした。 
令和3年10月 2日(土)   同窓会報宛先不明のあつかいについて
7月に発送した同窓会報の返却分について、電話連絡作業を続け判明した方には再発行をした。どうしても調べることが出来ない方は保留としています。
本日をもって住所調べの作業を終了しました。
令和3年9月29日(水)   学校長と懇談
多くの卒業生からの意見として、物づくりの基本は体験から学ぶことが大切であるので、基礎基本を大切にしてほしい旨話しました。 
令和3年9月22日(水)  古い資料の提供
昭和2年卒業生のアルバムが出てきたので、学校に寄贈したいと申し出ありました。
卒業生は27回の電気科卒業生 池原巌氏でした。貴重な資料有難うございました。
同窓会資料室に保管展示いたしました。 
令和3年9月8日(水)   奨学金について
清水奨学金について、熊野同窓会長・中尾副会長に書面をもって検討依頼書を送り
意見を求め、その結果を当局に報告した。 
令和3年9月7日(火)  学校長と懇談
学校の歴史について話したその内容は(学校の設立から3度の移転・7回もの学校名の変遷・教育内容の変化など・工業高校の役割・卒業生の活動状況・卒業後の進路・「機械 電気 建築 土木 化学 造船」の関係・クラブ活動・工科センタ-・・・・・・・
今後も機会あるごとに懇談したいと思います。
令和3年9月3日(金)   慰霊式の報告
広島市の原爆福祉当局に、本校の慰霊式実施について文面による報告書を提出した。 
令和3年8月5日〜26日(木)
  
同窓会報宛先不明で返却
7月24日にメ−ル便で全会員へ送付した同窓会報が476件学校に返送されてきました。返送された理由については(空家になっている・部屋番号がない・移転されている・表札がない・ポストがない・別人の表札になっている・・・・・・など様々でした。)これらの返送分について今後は電話で新住所をお聞きして、再発行したいと思っていますのでご協力ください。

同窓会事務局からは8/21(土)・8/22(日)・8/29(日)・9/4(土)・9/11(土)の5回にわたって返送者に電話をしました。その結果167件についてはメ−ル便と一部は郵送で再送付しました。それでも数件は返送されてきました。
また、電話で新住所は簡単には聞くことが出来ず苦慮しています。
同窓会事務局としては、学校の現状や同窓生の活動状況・先生方の近況など・・・・
を、卒業生の方々に情報提供したいと思っています。 
令和3年8月6日(金)   慰霊式実施
校門横の慰霊碑前で、学校の慰霊式が行われました。
学校と同窓会が共同主催している関係上、準備から実施まですべてにかかわり無事に式典を終了することが出来た。 
令和3年7月30日(金)   長崎工業高等学校と交流
オンラインによる交流会が行われました。
卒業後は豊かで文化的な生活に貢献できる工業高校ような、工業高校としての交流会にしてもらいたいと、コメントをしておきました。
令和3年7月28日(水)   オ−プンスク−ル実施 
多くの中学生や保護者の方々が学校訪問されました。
令和3年7月25日(日)   慈母観音像参拝
昭和20年8月6日中島町一帯で建物疎開作業に従事していた市内21校の学徒が多数原爆により犠牲になりました。後年各学校の遺族会を中心に慰霊碑が建立されました。場所は平和大橋東詰め下流です。毎年7月最後の日曜日に慰霊式が行われています。慰霊式は国泰寺高校(一中)が準備から式典まで行っています。
 
令和3年7月3日(土)   慰霊式案内状送付
毎年学校で実施している慰霊式について、ご遺族の方に案内状を発送しました。 
令和3年6月29日(火)   第1回学校運営委員会参加
校長から提起された学校運営に関する事項について、助言を求められました。 
令和3年6月14日 〜7月25日  同窓会報発送準備作業開始
コロナ感染症のため、本年度の同窓会総会・懇親会を昨年同様中止しました。
したがって、本年度もやや遅れて同窓会報発送の準備を始めました。
会報の内容について、大幅に変更したり同窓会員に送付する封筒の準備、また、宛書や会報に同封する書類の印刷など多岐にわたって準備を始めた。会員全員にお届けするため、約21500人の膨大な人数のた発送には相当の時間が必要です。
したがって、本年度も皆さんの手元に会報が届くのは、7月下旬から8月上旬になると思います。なお、郵送料節約のためメ−ル便で発送しますのでよろしくお願いいたします。
7月20日同窓会報21500冊入荷
7月21日〜23日同窓会報封入作業
7月24日同窓会報21300通発送 
令和3年5月6日(木)  役員会について
先日来、本年度の役員会について同窓会長・副会長・一部関係者と連絡をとっていましたが、本年度も現状では(コロナウイルス)会合は無理であろうと結論が出ました。 したがって本年度の役員会は中止することにしました。
本日は常任理事・クラス理事・支部長には「役員会・同窓会総会」いずれも中止の旨を封書及びハガキにて郵送しました。5月15日までに了解の返事が届いた。
 
令和3年4月17日 〜 6月2日 同窓会報の原稿作り
 @工科センタ-について
 Aコロナ感染症による学校行事の大幅な変貌について
 B「高校人国記」県工の歴史と伝統、活躍している方の収録など
 C同窓会の事業報告
本年度の同窓会報は上記4つを柱にすることにした。

特に工科センタ-に関する記録をまとめる作業に取り掛かったり、役員会・同窓会総会・会計報告・会計監査も原稿にかかわるので平行して原稿づくりを行った。
また、昨年度の学校行事についてはコロナ感染症よる大幅な変更があったので、
これを同窓会報原稿にまとめる作業を行った。 
また、3月から4月に地本新聞に連載された、「高校人国記」の原稿づくりに協力した関係から、この記事を要約した。本年度の同窓会報の
6月2日に原稿を印刷にまわした。
令和3年4月15日(木)  同窓会報の内容について
本年度の同窓会報掲載内容について検討に入った。
・令和2年度はコロナにより学校行事が大幅に変更したので、学校行事について
・工科センタ−の新築移転について
・卒業生のトピックスについて
 これらの事について、3本柱にしたいと思います。
令和3年4月上旬〜下旬  本年度の同窓会活動について
・令和2年度の会計処理・事業報告・・・・・などをまとめて記録に残す年度末の事務
 処理作業をした。
・コロナ感染症の状況をふまえ今後の同窓会行事について、会長・副会長と相談し
 ました。その結果毎年行っている役員会及び同窓会総会・懇親会は中止せざる
 をえない、と意見が一致を致しました。
 したがって、5月6日には常任理事(88名)宛てに書面をもって、8日にはクラス理事
 ・支部長(809名)宛てにハガキにより連絡いたしました。 
令和3年4月12日(月)   工科センタ−案内板取り付け
工科センタ−各部屋の案内板を1階〜3階まで取り付けた。 
令和3年4月6日(火)   始業式・入学式
午前中は1学期始業式、午後から教職員・新入生・保護者による入学式が行われた。 
令和3年4月1日(木)  工科センタ−の額設置
卒業生から寄贈されている額を工科センタ−内に取付工事をした。 
令和3年 3月25日(木)  合格者登校日
令和3年度入学者と保護者の方々が初登校してきました。
教科書や教材など多くの荷物を受け取っていました。
令和3年 3月22日(月)    工科センタ−にプレ−ト「工業科学センタ−」を設置
生徒が制作したプレ−ト(鋳物製品)を機械科の古田先生の指導により工科センタ−正面玄関壁面に取付けた。 
令和3年 3月19日(金)  地元新聞の記者来訪
「中国新聞SELECT」取材に対応した。
「中国新聞SELECT」 3月19日・26日・4月2日掲載
令和3年 3月19日(金)   本年度最後の終業式
コロナ感染症でこの一年は、今まで経験したことのない学校行事や授業の在り方など手探りな状態が続いた年でした。。
令和3年 3月16日(火)  元職員八つ橋先生ご逝去
長年母校の土木科教諭としてお世話をしていただいていました。
本日朝ご逝去になりました。 享年76歳           合掌
令和3年 3月15日(月)   各支部へ連絡
本年度卒業生が赴任していく事業所(県工支部)に卒業生の紹介連絡をした。約2週間調査して42支部の支部長宛文章を送付した。59E福重氏に手伝っていただきました。   
令和3年 3月10日(水)  123回卒業生の名簿を入力
約10日でパソコンに入力した。  
令和3年 3月8・9日  入学試験
予定通り二日間実施された。 
令和3年 3月 5日(金)   レンガ倉庫ラジオ番組収録
レンガ倉庫教室として使用されていた当時の思い出話について、昭和30年頃に使用していた私たち(福重・吉森) がラジオ番組に協力した。
令和3年 3月 1日(月)  卒業式
第123回卒業式が行われた。卒業生・教職員・保護者の三者で行われた。303 名卒業。 
令和3年 2月26日(金)   新型コロナウイルスと入会式
123回卒業生(303名)に対する入会式は昨年と同様実施されなかった。
同窓会の「しおり」「昨年の同窓会報」「記念品」3点は各クラス担任を通して、趣旨を徹底して配布した。
令和3年 2月22日(月)  地元新聞の記者来訪
「中国新聞SELECT」取材に対応した。  
令和3年 2月22日(月)   広島市経済観光局観光政策部来訪
観光プロモ−ションの中垰氏来訪、レンガ倉庫の写真借用について援助
令和3年 2月20日(土)  オ−プンスク−ル実施
中学2年生を対象にしたオ−プンスク−ルが実施された。コロナ禍のため新工科センタ−前のグランドでは、参加者全員の体温などをチェックして実施された
令和3年 2月16日(日)   記念品入荷
本年度も卒業生に送る記念品が303ケ入荷した。
令和3年 2月12日(金)   マラソン大会実施
昭和32年から行われている全生徒マラソン大会10Kmが、本年はコロナの影響で、学校内で実施されました。参加者は1・2年生全員でグランドから校内本館前を周回する6kmで実施されました。 
令和3年 2月 9日(火)   “しおり” 印刷
本年度の卒業生に渡す”しおり”を印刷した。原稿づくりから印刷をして卒業生全員に渡すまでの一連の作業に約10日を要した。315セット
令和3年 2月 8日(月)  工科センタ−に机等が設置
1階多目的ホールに机と椅子が7セット設置された。 
令和3年 2月 6日(土)   地元新聞の記者来訪
「中国新聞SELECT」取材に対応した。 
令和3年 1月25日(月)  原爆慰霊式援助金申請
本日広島市に助成金の申請をした。 
令和3年 1月22日(金)  小型模型室陳列
機械関係・電気関係の小型模型を、移転後ようやく展示することが出来ました。
昨年10月上旬に新工科センタ−完成後に多くの展示品を移転しましたが、私のできる物品はようやく陳列を完了することが出来ました。.
令和3年 1月19日・20日   資料室の整備
工科センタ−の本校資料室などのカ−テン設置について、畝本先生・泉先生が工事をしてくれました。 カ−テンは同窓会事務局で作成して2階はすべて設置完了した。
令和3年 1月18日(月)  地元新聞の記者来訪
「中国新聞SELECT」取材に対応した。 
 令和3年 1月15日(金) 地元新聞の記者来訪
中国新聞の記者(杉本)が来訪、本校の紹介を4回にわたって掲載したいとの申し出がありました。記者・学校長・同窓会が対応することになりました。主に歴史的な経緯と社会で活躍した方々を中心掲載されます。したがって取材に対しては同窓会の資料がポイントになると思います。しかし、
本校出身者は多岐にわたって多くの人材が活躍されています。古い方ではすでに故人になている方も多数です。また経済界・最近ではスポ-ツ界など掌握できない方々が多く、同窓会事務局ではすべてを紹介できていません。
その点掲載できない多くの方々には失礼なことになりますが、お許しください。
 掲載日は 「中国新聞SELECT」 3月12日・19日・26日・4月2日
                            是非ご覧ください
令和3年 1月14日(木)  本田一孝先生ご逝去
本校電気科の卒業生でもある本田一孝先生(64電)が昨日ご逝去になりました。謹んでお悔やみ申し上げます。先生には同窓会常任理事を務めていただきました。とくに昨年は工科センタ−移転工事にともない貴重な助言をいただきました。また新工科センタ−完成後の移転についても色々な助言をいただき大変お世話になりました。有難うございました。   合掌 
令和3年 1月13日(水)   地元新聞の記者来訪
中国新聞の記者(新山)が来訪、原爆により母校生徒の多くが犠牲になっていますが、このことについて取材を受けました。
令和3年 1月 6日(水)  慰霊碑参拝者あり
母校正門横に建立されている慰霊碑に、原爆で犠牲になられた生徒に、花をたむけに実兄の方が参拝に来られたので対応した。 
令和3年 1月 5日(火)   ホ−ムペ−ジの追加・事務処理
訃報などの連絡が多く寄せられていたので、ホ−ムペ−ジの訂正・追加の作業をした。また各職員室にあいさつ回りをした。 
令和3年 1月 3日(日)  運動クラブOB会初練習
朝からラグビ−部・弓道部・柔道部・・・毎年恒例のOB在校生の初練習を行っていますので、学校に出てみましたが運動クラブは、初稽古はしていませんでした。それでも一部の卒業生が来校していました。
令和2年12月24日(木)  令和3年同窓会 役員会・総会について
次年度の役員会・総会について同窓会長・副会長・一部関係者と連絡をとってまいりましたが、現状では(コロナウイルス)会合は無理ではなかあろうかと考えています。同窓会総会懇親会はとても難しいのではないかと思っています。
役員会については、もう少し様子をみて判断することにしました。
最終的には、4月頃に結論を出してお知らせいたします。 
令和2年12月23日(水)   終業式
本年も本日終業式が行われましたが、4月の新学期からコロナ感染症に振り回され、学校の臨時休校や変則的な授業等で落ち着きのない年となりました。
生徒たちは1学期 2学期ともケジメのない学校生活であったことだと思います。
日常生活においても新しい年を迎え各自それぞれが、予防対策には留意しこれ以上の感染が拡大しないように心がけて行きましょう。 
令和2年12月21日(月)  工科センタ−資料室の整理一応完了
10月上旬の引越作業から約3ケ月、引越整理から資料室の整理まで、福重(59E)氏の献身的な協力と関係の先生方の協力をいただき、一応の整理が出来ました。
これまで大変ありがとうございました。
しかし、同窓会としては一応の整理がついていますが、学校関係の模型室などまだまだこれから手掛けなければならないものが多くあります。
これからは出来るだけ早く、建設趣旨を生かした工科センタ−が完成するよう微力ですが、助言を続け活用されるように願っています。 
令和2年12月11日(金)〜14日(月)   米寿の方にカレンダ−を
来年度米寿を迎える方に送る「県工カレンダ−」を作成して本日(14日)137名の方々に送付した。 
令和2年12月7日(月)    中国新聞から「高校人国記」要請
中国新聞から「高校人国記」の記事について協力のお願いがあった。
学校長を交え記事内容を聞き協力することにした。
卒業生を対象に記事をまとめたいので全面的に同窓会が協力することになった。
令和2年11月30日(月)   野球部記念誌完成
野球部OBの方々が以前から「野球部記念誌」の編纂作業をしていましたが 本日出来上がり、同窓会の倉庫に保管しました。
令和2年11月14日(土)  旧工科センタ−解体
移転後は解体工事が行われていたが、本日旧工科センタ−が解体撤去されて、
旧工科センタ−の姿は見ることが出来なくなりました。
令和2年11月1日(日)   三段峡に参拝
昭和27年11月2日造船科の3年生が、事故により7名が犠牲になっています。
例年のように、花をタムケに参拝しました。 
令和2年10月28日(水)   多目的ホール棚の固定
多目的ホールに飾り棚(石田寄贈) を固定する作業は、建築科の先生方の協力により完成した。
令和2年10月26日(月)   資料室の整理
中央に写真を貼り付けるため、建築科の先生に協力していただきパネルを設置した。多くの写真・参考資料・ 旧教科書・教材・会報などを展示するために棚類の配置や資料室の整理には思わぬ時間が必要である。
これらの設置や全体のレイアウトをその都度に考えて作業を進めた。
令和2年10月23日(金)  資料室の整理
資料室の壁に写真を展示するため、養生シートや両面テ−プなどを購入して資料室の展示準備に取り掛かった。 
令和2年10月10日(土)   資料室の整理
本日も引き続き資料室の整理を行った。特にアルバムの整理をしたが明治時代から現在までのアルバム整理であるから今後も、相当な時間がかかるものと思います。 
本日広瀬氏(92M)が、98パソコンの修理をして持参してくれました。完全復帰になりました。有難うございました。
令和2年10月8日(水)  清水奨学金について会議
このことについて、同窓会関係者に書面をもって連絡を取り了承された。 
令和2年10月6日(日) 〜 
       12月21日(月)

 毎週金・土・日・月に作業
資料室の整理に着手
世界遺産DVD等ハッキリ仕分け出来るものから棚に収納した。
今後は資料室のレイアウトや写真展示など根本的な配置を計画して、本腰を入れて整理作業をしたい。

9日(金) 福重氏と2人でアルバムの整理に取り掛かった。122年度分のアルバム帳であるから、今後も相当な時間がかかると思われる。 
令和2年10月1日(木)   体育大会開催
コロナ禍の中で体育大会が行われましたが保護者には案内せず、一部役員の参加で実施されました。例年から比べれば静かな運動会となった。 
令和2年9月30日(水)   廃棄物の処理 移転作業終了
多くの廃棄物を新工科センタ−の横に物品別に整理されてブル−シ−トがかけられ、後日処理されることになった。
この日旧工科センタ−から新工科センタ−に、一応物品は移動されました。
今後は、段ボ−ル箱からそれぞれの棚に配置したり、閲覧できるように整理をする作業になりますが相当な時間が必要でしょう。

この日一階の飾り棚には、優勝旗や優勝カップなどが陳列されますが、不安定なため河野副会長に見てもらい、固定するためのアドバイスをお願いした。
令和2年9月29日(火)    移転作業
旋盤・フライス盤・ボ−ル盤・多くの重量物が移転するので、常友先生や桑野先生に現場の指揮をしていただいた。一階の工作室に設置されました。
また、2階の小型模型室にはタービンが搬入されました。
いずれも重量物のため、慎重に時間をかけて移動作業が行われた。
 
令和2年9月28日(月)   移転作業・電話工事
能仁先生の指導により、チュ−リップハットなどを3階の棚に整理してもらった。
電話工事がこの日すべて完了した。ホ−ムペ−ジ・メ−ルなども全て使用できるようになった。 
令和2年9月27日(日)  同窓会事務局の整理
新同窓会事務局のロッカ−に一部書類などを整理した。 
令和2年9月24日(木)・25日(金)  移転作業
ロッカ−や棚をまず搬出搬入した。
その後、天気の関係上同窓会資料室の物を中心に運び出し、まずロッカ−類を新工科センタ−の所定の位置に搬入その後、段ボ−ル引越詰めしたものを搬入した。
25日は小型模型類を搬出し生徒が制作したFAシステム等搬出された。
 
令和2年9月19日(土)・20日(日)   破棄する重量物の搬出
卒業生の方の協力により、重量物(1.5ton2件))の処理作業をして頂きました。
本当にありがとうございました。 
令和2年9月18日(金)  引越最終打ち合わせ
引っ越し業者(九州西濃運輸)中谷氏・学校事務担当者・同窓会事務局3者で、引越に関する最終打ち合わせをした。引っ越しは9月24日・25日・29日に大きな物の搬出と搬入をすることになった。 
令和2年9月17日(木)  空調機設置工事
卒業生の紹介によって、新同窓会室にエアコンが取り付けられました。 
令和2年9月3日(木)  宇治川・堀尾氏(ワイテック)来校
工業教育に対して、何らかの援助の意向についてご相談がありました。 
令和2年8月25日(火)   小林 誠二氏来校
小林 誠二(78建卒)氏が来校、高校時代甲子園出場時の写真と背番号「1」 を同窓会に寄贈していただきました。 新工科センタ−の資料室に展示したいと思います。有難うございました。なお、本校出身のプロ野球選手の方々の資料も展示してあります。来校してご覧ください。
令和2年8月22日(土)  原爆慰霊式の報告
慰霊式報告書全てを広島市役所に提出した。 
令和2年8月21日(金)〜  
          9月6日(日)
同窓会報返却分について対応
700通近くの同窓会報が返却されてきました。これらについて土・日曜日に電話連絡をして、住所の確認ができた方には再発行できました。
しかし、本年は同窓会事務局の移転がありましたので2ないし3回の連絡しかできませんでした。自分のところに同窓会報が届いていない方はご一報ください。
9月6日現在 再発行216件 破棄185件 留守電保留約370件  3度電話連絡した
令和2年8月20日(木)  工科センタ−に関する今後の対応
教頭先生から8月19日に新工科センタ−が引き渡されたと連絡があった。
引っ越しの準備について、話し合いがあった。
工科センタ−に関する今後の対応について、学校当局で引越計画と今後の工科センタ−運用管理を早急に決めてほしい旨申し入れた。特に工科センタ−の運用については早急に先生方のメンバ−を編成してくださいと申し入れた。
引越は9月23日〜30日となった。 
令和2年8月18日(水) 〜27日(木)  新工科センタ−用スチ−ル棚作成
不要のスチ−ル棚を使って、新しくスチ−ル棚を5セット作成した。
杉田先生(71M卒)の協力により立派なスチ−ル棚が5セット完成した。 
令和2年8月10日(月) 〜12日(水) ホ−ムペ−ジ追加他
同窓会報送付後、多くの方から情報がありましたので、訃報・事務局関係等の訂正や追加をした。 また、同窓会事務処理をした。
令和2年8月5日(水) 〜8日(土)  原爆犠牲者慰霊式
5日(水)は慰霊式の準備(テント設営・花の準備・お茶の準備・椅子・マイク・受付等)

6日(木)10時から慰霊式が行われました。コロナ禍の為に縮小して行われました。
学校長・生徒会長の追悼の挨拶が行われました。
式典の準備と後片付けは教職員・生徒会・クラブ部員達が行いました。

8日(土)写真の取り込みや、参列者の方々に参列のお礼ハガキを発送した。 
令和2年8月3日(月)  同窓会報 訃報連絡等多数
8月1日から同窓会報がお手元に届きはじめ、訃報連絡・会員転居で現在の住人からの苦情電話・問い合わせ等、多くの方から電話連絡やメ−ルが寄せられて来ています。

同窓会員が転居された後、住所変更先の連絡がないため会報が届き新入居者が大変不愉快な思いをされているようです。
どうか住所変更された会員の皆様、お手数ですが同窓会事務局まで、電話・メ−ル・手紙等でご一報いただければ幸いです。
令和2年7月31日(金)  1学期終業式
本年の夏季休暇は8月1日(土)〜8月16日(日) です。
令和2年7月27日(月)  同窓会報発送
午後メ−ル便として、全同窓会員に発送した(21383通) 。同時に現教職員に配布した
令和2年7月21日(火)〜
           25日(土)  
同窓会報入荷・発送作業開始
21600冊が入荷した。福重氏(59回)の協力を得て封筒入れ作業を開始した。
 22日(水) 〜24日(土)はコロナの影響を受けて2時間づつ2班編成での封筒入れ作業となった。福重氏(59回)と弓道部生徒の協力を得て4日間で、発送準備が出来た。
ご協力ありがとうございました。 発送ケ−ス 89箱(240入)は27日に発送する。
令和2年7月18日(土)  同窓会報発送準備
全同窓会員約22000人に発送するため、福重氏(59回)ご協力を得て作業が効率よく出来るよう作業環境を整えた。
令和2年7月16日(水) 〜
            9月30日
工科センタ−引越作業
同窓会関係の物品について、河野房子副会長に相談しました。今後の同窓会資料室のレイアウトなどに多くの意見や助言をいただいたので、それらに沿って計画し実施したいと思います。

17日(金)学校事務の小竹さんと、具体的に引越する 物品について寸法測定しながら確認作業を行った。物品が多くあるので今後も時間をかけて作業を続けることにした

20日(日)同窓会にあるフィルム類(16o・8o・大型VTR等)・VHS・カセット等多数があり、これらをまとめて引越用にダンボ−ル箱詰めを開始した。これらの作業は今後長期にわたり準備をしたい。・・・・

新工科センタ−の各部屋に配置する棚やその他の物品等のレイアウト図を作成したり電話工事ゃパソコンの移動、各部屋の使用方法などほとんどにわたって、同窓会事務局がやらなくては、引っ越し全体の作業ができない状況になったので、
学校事務担当者と協力し事に当たった。

9月16日絵画など荷造りが難しい物は福重氏と2人で、新工科センタ−に運び込んだ

9月18日引っ越し業者(九州西濃運輸)中谷氏・学校事務担当者・同窓会事務局3者で、引越に関する最終打ち合わせをした。引っ越しは9月24日・25日・29日に大きな物の搬出と搬入をすることになった。

9月19日・20日卒業生の方の協力により、重量物(1.5ton2件))の処理作業をして頂きました。本当にありがとうございました。

パソコン関係の移動は沼田氏が中心になって、移転取り付けのセットをしていただきました。本当にありがとうございました。

その他の移転について、卒業生教職員・野球部生徒などが協力していただ来ました。(カ−テン・彫刻・食器・大型写真・ラジオ・ガラスケース・優勝カップ・・・・・))
令和2年7月10日(金)   工科センタ−打ち合わせ(学校の) 
若宮教頭ほか数人の先生方が集まって初めての打ち合わせが行われました。、同窓会から吉森が出席しました。まず、工科センタ−の今後の運用について基本的な考え方を意識統一する事が大切であると同窓会としての意見を申し上げましたが短時間のため皆さんの意見を聞く事ができませんでした。近いうちに若宮教頭が設立趣旨にそって意見をまとめていただくように申し上げておきました。
その後に移転について具体的に進めていくようにお願いした。
7月14日には若宮教頭先生に「工科センタ−移転について学校と同窓会との意思統一」
について書面で申し入れをしておいた。
令和2年7月9日(木)  スチ−ル棚制作
現在工科センタ−にある材料で、杉田先生と生徒によりスチ−ム棚を5ケ制作しています。(このことが工科センタ−設立の趣旨) 新工科センタ−で使用するものです。
7月30日(木)杉田先生と生徒によりスチ−ム棚を制作した。
令和2年7月1日(水)   :原爆犠牲者慰霊式案内状送付
8月6日10時から原爆犠牲者慰霊式は、例年より規模を縮小して実施する旨、関係者に案内状を発送した。( コロナ禍のため)
令和2年6月29日(月)  会報送付作業作業
封筒に宛先タック貼り付け作業開始、福重氏(59回) が手伝ってくれた。(2日間)
令和2年6月23日(火)   同窓会報ゲラ刷り
同窓会報のゲラ刷りが出来たので26日までに、チェックすることになった。
27日には21600冊の注文をすることにした。 
令和2年6月22日(月)  エアコンの寄贈
迫田宏治(75回)氏から、アアコン2台が寄贈されました。有難うございました。 
令和2年6月22日(月)〜   同窓会報送付準備。(約2週間)
同窓会報送付に当たり会員に送付する挨拶文の編集や会費のお願い文などそれぞれ原稿を作成した。7月4日から2日間で22000枚 福重氏(59回)のご協力を得て印刷することができた。
タック印刷・振込用紙印刷はパソコンで4日間を要した。
24日には会報送付用封筒が(22000)入荷した。
令和2年6月15日(月)  ホ−ムテレビ局来訪
レンガ倉庫保存問題についての番組作成のため、レンガ倉庫内で行われていた授業風景の写真をアルバムからピックアップして提供した。 
令和2年6月1日(月) 〜 工科センタ−引越作業
新工科センタ−8月末日に完成予定、したがって引越作業に取り掛かった。不要なものや保存する物を仕分けする作業は、半端な作業ではないが長期戦で取り組みたい。
7月1日学校事務室小竹さんと移転する物品について打ち合わせ作業を開始 した。
ロッカ−などの寸法を測ったり、移動場所の打ち合わせなど今後は時々話し合うことにした。
7月9日からは引越について常友先生(65回)・杉田先生(71回)達と具体的な物品について相談した。その内容は、一階の測定器・機械類・工具類・材料・教材類・中山先生の研究論文など多くの物品について・寄贈されている貴重な資料など相当な物品がある。
今後も9月下旬の引越まで、これらの作業が続くと思います。
令和2年5月27日(水)  会報原稿資料集め
以前前から、千田校舎時代の車寄せ礎石が千田小学校に移設されているとの情報がありました。調査のため、福重氏・坂井先生と共に現地調査した結果確かなものと判明した。よって本年度同窓会報に掲載することにして原稿作成に取り掛かった。 
令和2年5月20日(水)  「書」の寄贈を受けた
ある企業から、本・夢・無心・・など「書」の寄贈があった。夢は校長室に設置した。
令和2年5月18日(月) 〜 同窓会報原稿作成に取りかかる
本年度の同窓会報原稿の依頼及び多くの分野の原稿づくりに着手 
令和2年5月13日(水))  広島テレビ放送来訪
レンガ倉庫保存問題についての番組作成のため、レンガ倉庫内で行われていた授業風景の写真をアルバムからピックアップして提供した。 
令和2年5月13日〜 ホ−ムペ−ジの訂正追加
パソコンが新機種になり、操作に手間取つて情報が遅れていました。本日からペ−ジの追加や訂正を行いたいと思います。なお、訃報者については毎日訂正追加をしています。
令和2年5月9日(土)  同窓会長を訪問
本年度の決算報告や事業報告をしました。また、役員会・同窓会総会について何れも中止になった経緯と、役員全員にこれらのことを郵送によって連絡をしたことなどを再確認しました。 
令和2年5月8日(金)   千田町校舎の礎石について
県工の旧本館車寄せに使われていた礎石の写真撮影に行った。
このことについては本年度の同窓会報に掲載する予定にしています。
令和2年5月5日(火)   役員会について
先日来、本年度の役員会について同窓会長・副会長・一部関係者と連絡をとっていましたが、現状では(コロナウイルス)会合は無理であろうと結論を出しました。 したがって本年度の役員会は中止することにしました。
本日は常任理事・クラス理事・支部長には「役員会・同窓会総会」いずれも中止の旨を封書及びハガキにて郵送しました。5月15日までに了解の返事が届いた。
令和2年4月30日(木)  千田町校舎の礎石について
旧本館車寄せに使われていた礎石が、千田小学校にあるとの情報がありましたので、千田小学校を訪問し50年史をお借りして調べた結果、県工の旧本館車寄せに使われていた礎石であることが判明しました。 
令和2年4月26日(日)  千田町校舎の礎石について
県工の旧本館車寄せに使われていた礎石が見つかりました。確認のため八塚(50M) 氏を訪ねたが判断がつかなかった。
令和2年4月26日(日)  新パソコンにデータ移動
ファイル整理して、旧パソコンにデータを新パソコンに移動した。 
令和2年4月16日(木)  学校再び休校
本日から再度広島県は全ての学校が休校となりました。 
令和2年4月10日(金)  総会・懇親会について
会長・副会長と連絡を取り合って、本年度の総会・懇親会は実施しないことになりなした。(コロナウイルス)ホテルをキャンセルしたり、役員会について検討することにしました。
令和2年4月6日(月)  入会式
新型コロナウイルスの関係3学期末から休校になっているので、入学式は入学生・教職員・保護者で行われた。来賓者は不参加。
明日から在校生は普通授業になった。
令和2年4月1日(水)  被服支廠付随の壁撤去工事
工科センタ−西側にあるレンガ作りの壁が撤去されるらしく工事が始まった。 
令和2年3月31日(火)   退職者胴上げ
加藤先生(社会)・細川先生(機械)のお二人の先生を、正門前で多くの先生方によって胴上げが行われた。
令和2年3月18〜4月20日   年度末で多岐にわたり処理
122回卒業生の最終的なデータ整理等。
パソコンの設定・データ整理・ファイル整理・等。データのバックアップ等。
2019年度の役員会や総会・懇親会等記録の整理等。
一年間の同窓会事業記録の整理等。
現在の工科センタ−展示物などの整理。新工科センタ−工事に関わる記録等。
会計事務の整理等。
封筒・紙・ファイル・・・・・購入など。
学校職員移動にともない記念品やなデータ整理等。
支部長・同窓会員データ整理等。
令和2年3月16・17日(月・火)   パソコンをXPから10に変えた
XPパソコンのトラブルが多く文章等々困っていました。住吉先生(電気科)にお願いして、今回新しくウインドウズ10にしてもらいました。 全てのバ−ジョンが新しくなったので、慣れるまで少々時間がかかったています、しばらくの間お待ちください。
令和2年3月11日(水)  各支部へ連絡
本年度卒業生が赴任していく事業所(県工支部)に卒業生の紹介連絡をした。約2週間調査して47支部の支部長宛文章を送付した。59E福重氏に手伝っていただきました。   
令和2年3月10日(火)  122回卒業生の名簿を入力
約10日でパソコンに入力した。 
令和2年3月6・7日(水・木)  入学試験
予定通り二日間実施された。 
令和2年3月1日(日)  卒業式
第122回卒業式が行われた。卒業生・教職員・保護者の三者で行われた。288 名卒業。
令和2年2月27日(木)  新型コロナウイルスと入会式・卒業式について
16:00若宮教頭先生から、新型コロナウイルスの関係で多くの生徒が集まる所に来賓の方々の出席は辞退していただきたいと、申し出があった。
直ぐに西田副会長へ電話して、入会式・卒業式の出席辞退の連絡をした。
本年度は、これらの行事については卒業生・教職員・保護者の三者で行なうことになった
令和2年2月25日(火)  入会式に向けて
3年生本日登校日であった。本年度卒業生に”しおり”・記念品・昨年度同窓会報を配布した。  西田副会長と入会式の進行について確認した。 
令和2年2月21日(金)  西岡誠吾(53M)氏来訪
西岡誠吾(53M)氏とポ−ランドの方が来訪、被爆の話し等々被爆体験学習をさせていただきました。 
令和2年2月13日(木)   “しおり” 印刷
本年度の卒業生に渡す”しおり”を印刷した。印刷作業は59E福重氏に手伝っていただきました。
令和2年2月5日(水)  入会式に向けて準備開始
卒業生に渡す”しおり” の原稿作りを始めた。入会式の進行について学校の先生方と話し合いを始めた。
令和2年2月3日(月)  学校長に連絡 
入会式・卒業式・入学式についての来賓挨拶は、今回は副会長に代行していただくようにした旨を伝えた。
令和2年1月30日(金)  同窓会長を訪問
入会式・卒業式・入学式については、会長の体調不良により副会長にお願いすることになった。 この件を西田副会長に連絡した。
令和2年1月29日(水)  工科センタ−工事について
工科センタ−の設立趣旨から移転に至る経緯と、活用について・・・・・・説明書作成に取りかかる。 
令和2年1月27日(月)  原爆慰霊式援助金申請
本日広島市に助成金の申請をした。
令和2年1月22日(水)  工科センタ−工事について
一階工作室のガス管口位置について、事務長から打診があったので、桑野先生等と相談のうえ設置場所を伝えた。管理職の先生方に本日も工科センタ−係を早く決めてもらうように申し上げた。 
令和2年1月20日(月)   池田先生ご逝去の報告
中田先生から訃報連絡がありましたので、土木科の先生はじめ関係者の方々に 訃報連絡をした。
令和2年1月17日(金)  同窓会長を訪問
会長が体調を崩されているとの情報があり訪問してみた。1 日ほど入院したが元気だよと言われた。しかし体力もかなり弱っているような感じがしたので、十分気を付けて下さいと申し上げておきました。最後に今後の予定等を連絡しておきました。
令和2年1月15日(水)  レンガ倉庫について
NHKからレンガ倉庫について取材があった。
令和2年1月7日(火)   始業式・工科センタ−工事開始
本年度も普通に学校が始まった。工科センタ−の基礎工事も始まった。 
令和2年1月3日(木)  運動クラブOB会初練習
朝からラグビ−部・弓道部・柔道部の卒業生と生徒達の合同初練習がありました。 
令和元年12月30日(月)  90回クラス会に参加
90回機械科クラス会に参加しました。
令和元年12月25日(水)   工科センタ−について 
県営繕課・学校事務長・同窓会事務局(吉森)・工事担当会社の、打合せ会議がありました。窓ガラスについての意見を求められたので、12月5日の意見を申し上げました。
結論は次回の会議まで持ち越しとなりました。
令和元年12月20日(金)   レンガ倉庫について
レンガ倉庫保存について新聞で大きく取り上げられています。卒業生の方からレンガ倉庫保存について意見を求められました。
吉森(59回卒)個人としては、高校時代に教室として勉強した所でもあり、全棟保存が良いとお話しをしておきました。
令和元年12月5日(木)   工科センタ−について 
窓ガラスについて、学校から打診があったので、河野副会長・桑野先生・常友先生達と検討しました。また、工科センタ−のプレ−トについても検討しました。
令和元年11月28日(木)  57回クラス会出席
57回工業化学科クラス会に吉森が出席しました。 
令和元年11月26日(火)  工科センタ−について 
卒業生の方から貴重なご意見を頂きました。
くい打ち工事が28日に終了しました。(15:ヶ所) 
令和元年11月23日(金)   恩師を訪ねた
機械科の大平先生を訪問した。先生は今年で97才とのこと、お元気でした。 
令和元年11月16日(土)  広島アルミニウム工業支部総会開催
38名(女性2名)の出席がありました。桑野先生・吉森が出席しました 
令和元年11月15日(金)  シンコー支部総会開催
広島国際ホテルで支部総会が行われました。 熊野会長・中村校長・能仁先生・事務局から吉森が出席しました。 
令和元年11月13日(水)   工科センタ−について 
くい打ち工事が始まった。
令和元年11月12〜15日  釜山機械工業高校来校
姉妹校である韓国国立釜山機械工業高校の生徒・先生 が4日間ホ−ムステイをして、本甲良ー生徒達と交流しました。
令和元年11月11日(月)  米寿の方にカレンダ−を
来年度米寿を迎える方に送る、県工カレンダ−の準備を始めた。27日には106名の方に送付した。 
令和元年11月8・9日(金・土)  広工祭
学校では2日間 広工祭が行われました。
令和元年11月8日(金)  マツダ支部総会開催
中村校長・桑野先生・熊野同窓会長・吉森が出席しました。 
令和元年11月2日(土)  三段峡に参拝
昭和27年11月2日造船科の3年生が、事故により7名が犠牲になっています。
例年のように、花をタムケに参拝しました。 
令和元年10月31日(木)  工科センタ−について
現在の工科センタ−内にある多くの資料や機材について、何を引っ越しすればよいか常友先生・杉田先生・桑野先生らと相談しながら、整理作業を始めた。この作業はかなり時間がかかると思う。 
令和元年10月29日(火)   工科センタ−について
工事事務所が完成していよいよ工科センタ−の工事が本格的に始まった 
令和元年10月19日(土)   ホ−ムペ−ジ追加
数日間にわたって支部・クラス会など大幅に訂正と追加作業をした。 
令和元年10月9日(月)  クラス会参加
59回機械科クラス会に出席しました。80才を過ぎると参加者が極端に少なくなっていました。 
令和元年10月1日(火)  体育大会開催
本年度の体育大会が行われました。 
令和元年9月30日(月)   元職員来訪
建築科の戸川先生が来訪されました。元気なお姿にふれることが出来ました。
先生は現在中学校へ時間講師として行っておられました。 
令和元年9月28日(土)  ヒロテック支部総会開催
ヒロテックOBや現役の方々が多く参加されました。非常に活気のある賑やかな集いでした。桑野先生・吉森が参加いたしました。40名出席 
令和元年9月27日(金)   日本製鋼所支部に出席
若宮教頭先生・桑野先生・熊野同窓会長・吉森が出席しました。83名の会員が出席になりました。 
令和元年9月26日(木)  住所録町名変更作業 
安芸郡熊野地域・江田島市について町名変更の整理を行った。
令和元年9月9日(月)  清水奨学金会合
清水奨学金選考会議が行われ、熊野同窓会長と吉森が出席しました。 
令和元年9月3日(火)  工科センタ−について
工科センタ−完成後(令和2年秋)に、現在の建物から移転する物品について、杉田先生・桑野先生と話し合って具体的に物品を選別した。同窓会関係は同窓会で判断することにした。 
令和元年8月23日(金)  原爆慰霊式の報告
慰霊式報告書全てを広島市役所に提出した。 
令和元年8月20日(火)  周辺のブロック工事
工科センタ−周辺のブロック塀がフェンスになりました。 
令和元年8月16日(金) 同窓会報 返却分について作業
宛先不明や昨年の大雨災害地等が約600通ありました。これらについて電話で連絡の取れた方については、再送付しました(作業期間は約25日間)。連絡が取れない方については保管しました。(内水害地関係は32件)同窓会報が卒業生の皆さんの手元に届いていない方は、同窓会事務局までご一報下さい。
令和元年8月6日(火)  原爆慰霊式
慰霊式は予定通り行うことが出来ました。台風で雨も降ったが(テント7張)
参列者は遺族約50、名先生・生徒・同窓生などが約250名でした。
後処理は水球部の先生と部員を中心に作業をしてくれました。
8月7日は遺族参列者の方々にお礼の手紙を送付した。 
令和元年8月2日(金) 工科センタ−について
工科センタ−完成後(令和2年秋)に、現在の建物から移転する物品に対しての見積もり予算の打合せに、学校事務室の担当者と対応した。 
令和元年7月28日(日)  学徒動員合同慰霊祭
慈母観音前で行われている慰霊式に参列した。 
令和元年7月24日(水)  梶山先生来訪
梶山先生(元比治山女子高校校長)が来訪、広島工業高校の歴史について南区の市民会報に掲載したい・・・・・・この事について懇談した。 
令和元年7月18日(木)   同窓会報入荷・発送
本年度の同窓会報が完成しました。(21700冊)
19日〜22日は同窓生(住所判明者21472名)に送付するための作業をした。
本年も、同窓会報送付に関する作業全般に亘って、福重氏(59回卒)に手伝って頂きました。本当に有り難うございました。 
令和元年7月10日(水)  原爆慰霊式案内状発送
本年度原爆犠牲者慰霊式案内状を、ご遺族・関係者に送付した。
令和元年7月 6日(土) 東京支部総会開催
熊野同窓会長・吉森が出席しました。 
令和元年6月27日(木)  同窓会報送付の準備
同窓会報の原稿について、以前から編集作業を進めていましたが、ようやくまとまってまいりました。数日後には編集も完了するように努力しているところです。
さて、同窓会報を皆さんにお届けするために、封筒に宛書きを書く作業に取りかかっています、25日から福重氏(59回) が協力してくれていますが、本日約8000名の宛書きが完成しました。 合計で21500名の方に同窓会報を送付しますが、発送は7月23日頃になる予定です。しばらくお待ち下さい。
令和元年6月23日(日) 総会・懇親会について
総会・懇親会の後処理を木本先生の協力により、無事整理することが出来ました。
有り難うございました。 
令和元年6月22日(土)  同窓会総会
令和元年度同窓会総会が、ホテルグランヴィアで開催されました。
219名の申し込みがありました。出席(198名)された皆さん有り難うございました。
なお、当番幹事をはじめ、受付などを手伝っていただいた皆さんに感謝申し上げます。
有り難うございました
令和元年6月21日(金)  総会・懇親会について
最終的に 208名の申し込みがあったので、座席の設定や資料ずくりの事務処理を急ピッチで進めた(資料は215セット)。席数は21テ−ブルとした。 受付についても当番幹事以外の方々にお願いして、ようやくメンバ−が整った。
総会の進め方や懇親会の進行などを作成した。
 
令和元年6月21日(金)  広島県土木部会
県職員の集いが行われました。中村校長先生・本屋敷先生・熊野同窓会長が出席しました。 
令和元年6月17日(月)  工科センタ−について
県教委施設課から中村校長・井上事務事務長・吉森に工科センタ−の各部屋の使用について説明があった。また、工事開始日程の変更・工事区域について、工事車両の出入り口をどこに置くかについて検討した、特に安全第一に考えて欲しいむね協力に申し込んだ。
また、工科センタ−の活用プロジェクト(学校関係者)を早急に組織して頂くように、校長に再度申し入れをした
令和元年6月10日(月)   封筒入荷
同窓会報を発送する封筒が本日22000部入荷した。 
令和元年6月7日(金)〜9日(日)   同窓会報発送事務作業
本年度の同窓会報に同封する、年会費依頼文・振り込み用紙・宛書などの印刷作業を3日間で行いました。(約22000部)膨大な作業でしたが福重氏(59回)のご協力により スム−スに作業をすることが出来ました。大変お世話になりました。 
令和元年6月5日(水)  修学旅行生訪問
日本大学付属第二中・高校生が学校の歴史と 8月6日前後について、当時の学校の様子などを説明しました。 
令和元年5月31日(金)  元職員来訪
元同窓会事務局のお世話をして頂いていた杉山さんと、長年県工事務職員であった清水さんが同窓会事務局を訪問されました。特に清水さんは昭和28年に母校が千田町校舎から(機・電・建) 現在の出汐校舎に移転になり、皆実高等学校(機・電・建・土・工化・造・普・生)時代から、学校の事務員として勤められていた方なので、貴重なお話しをお二人から聞くことが出来ました。
令和元年5月29日(水)   工科センタ−について
県警総務部施設課・県教委施設課・井上事務事務長(6名)が工科センタ−の各部屋の状態をつぶさに見学した。各部屋の説明と施設について詳しく説明した。 
令和元年5月24日(金)  総会案内状印刷
常任理事・支部理事・クラス理事の方々に送付する案内状を印刷した。
5月25日に発送した。
なお、総会案内の新聞広告を6月13日付けで掲載するように手配した。
 
令和元年5月23日(木)   広島市役所支部総会
支部総会の出席者は55名でした。若宮教頭・本屋敷先生・熊野会長・吉森が出席しました 
令和元年5月11日(土)  令和元年役員会 
内容については、役員会のページをご覧下さい。福重氏・坂井氏・母校職員の方々お手伝い有り難うございました。
また、7月に発送する本年度同窓会報をご覧下さい。 
平成31年4月13日(土)  校歌の作詞家を訪問
昨日の転退任式から思い立ち、母校校歌の作詞家を訪問した。場所は福山市神辺町にある葛原邸です、この事については本年度同窓会報に詳しく掲載致しました。
会報には、作曲家についても詳しく掲載することにしました 
平成31年3月23日(土)〜 
         5月末日まで
空調取り付け工事
学校の普通教室・特別教室空調に空調が設置されることになり、工科センタ−1階が施工事務所になった。
平成31年3月15日(金)  各支部へ連絡
本年度卒業生が赴任していく事業所(県工支部)に卒業生の紹介連絡をした。約2週間調査して40支部の支部長宛文章を送付した。  
平成31年3月1日(金)  第121回卒業式
熊野会長・県会議員・田口元校長・平岡副会長・PTA・・・が出席され、おごそかなうちに卒業式が行われました。祝辞は来賓を代表して熊野同窓会長が述べられました。卒業生309名 でした。 
平成31年2月28日(木)  同窓会入会式
卒業生309名が県工同窓会へ入会しました。
初めに熊野同窓会長の挨拶があり、同窓会事務局から県工同窓会員として今後母校に対して、物心両面において強力をお願いしたい・・・・・など諸連絡をした。 
平成30年12月14日(金)  卒業生から同窓会に寄付
建友会(55・56・57建築卒ゴルフの会)から寄付金が寄せられました。
今回200回目のコンペが行われ一つの締めとして、活動をしないことになったので、残ったお金を同窓会に寄贈したいと申し出がありました
。 
平成30年12月2日(日)  岡山支部総会開催
岡山駅前のホテルにおいて、岡山地区在住の卒業生の集いが行われました。  
平成30年11月3日(日)  三段峡に参拝
昭和27年11月2日造船科の3年生が、事故により7名が犠牲になっています。
例年のように、花をタムケに参拝しました。現地は晴天に恵まれ紅葉が始まっていました。夕刻は日本シリ−ズ カ−プ戦を応援に行くことが出来た。 新井選手(97回)の最後のユニホ−ム姿を見ることが出来た
平成30年10月26日(金)〜  工科センタ−利用
60回機械卒の卒業生が、工科センタ−の機械を使用してある道具を製作したいということで、本日から数日間来訪になった。 
平成30年10月24日(水)  工科センタ−について
空調について事務長・青木教頭・業者・事務局との打合せがあった。 
平成30年9月25日(日)  楠木撤去
通学路にある三本の楠木の一本が、倒壊の危険があるという理由で撤去されました。 
平成30年9月14日(金)   55回電気卒学校訪問
”55会 ”の新聞を校長に渡し、電気科実習場の見学の依頼があった。
平成30年9月12日(水)  工科センタ−について
県営繕課から(10名)・事務長・青木教頭・吉森・角山・・・工科センタ−の現状の視察があった。何がどのように使われているのか等を説明した。 
平成30年9月10日(月)  工科センタ−について
正式に学校長から要望書の回答について会議を持もった。
出席者は校長・事務長・教頭(2名)
 
平成30年9月3日(月)  工科センタ−について
河野副会長に昨日の件を連絡(来校)した。やむおえないとののことであった。 
平成30年8月31日(金) 工科センタ−について
学校長から施設課に要望書5項目を提出していたが、本日学校長から報告を受けた。
良い回答は得られなかったとのこと。会長に報告した。 
平成30年8月16日(木)  被災地に同窓会報配達
8月12日時点で522通の配達不能があったが、本日186通が発送できた。残り336通が配達不能である。9月3日にはさらに88通を発送した。 
平成30年8月6日(月)  原爆慰霊式
慰霊式は予定通り行うことが出来ました。
参列者は遺族約50、名先生・生徒・同窓生などが約250名でした。 
平成30年8月3日(木)  被災地のリスト作成
被災地のリストを作成して、配達できる地域から同窓会報を発送した。
また、それ以外で宛先不明で返却されてきた約300通については、電話連絡をして判明した方には、再送付しました。 住所変更された場合は、同窓会事務局までご一報下さい
平成30年7月19日(木) 120年史を在校生に 
全校生徒960名と現教職員に120年史を配布した。なお、在校生には保護者懇談時に手渡すようにお願いした。
平成30年7月12日(木)   大雨による災害が各地に発生
広島県内では坂町・熊野・安芸区・呉地区・安佐北区・東広島・芸備線・三原方面が大きな被害が出ているので9日〜12日は学校は休校となった。
また、同窓会報を7月3日に発送したが、災害地は配達できないので約522通が返却されてきた。一ヶ月後くらいから発送できるところは、随時発送していきたいと思っています。
平成30年7月7日(月)  東京支部総会開催
5日からの大雨により、新幹線がストップになったので同窓会長は欠席することになった。また、坂町・熊野・安芸区・呉地区・安佐北区・東広島・三原方面など広島県内各地は土砂災害が発生した。岡山県内も同様被害があった。 
平成30年7月2日(月)  工科センタ−のボ−リング工事開始
工科センタ−周りの地質調査のためボ−リング工事が(4ケ所) 始まった。
旧体育館跡地についても(4ケ所)同様の工事が行われる予定。
平成30年6月27日(水)  120年史・同窓会報入荷
120年史12000冊・同窓会報22000冊が入荷した。 福重氏がこの作業を援助した。
あらかじめ準備をしていた発送書類と120年史・同窓会報を封筒に入れる作業を行うための、仕事の効率を考えてレイアウトをした。封筒入れ作業はおよそ8日位を考えた。 
また、発送のためのケ−スを150ケ用意した。 
作業が順調にいったので7月2日発送することが出来た。(トラック2台分)
平成30年6月9日(土)  工科センターの件で会議
以前施設課から提示された工科センタ−の基本設計図をもとに学校・同窓会として検討する会合を本日おこないました。出席者は副会長(4名)と本田先生 坂井先生 現職の桑野先生 吉森でした。その結果大きく分けて5項目について、要望書と建築図面を作成して、学校長と事務長に提出しました。 6月12日に校長・事務長が施設課に強力にお願いしていただきました。要望書は関係者(会長・副会長・本田先生・坂井先生・常友先生)に送付した。
平成30年6月4日(月)  64回電気卒学校訪問
64回電気卒30名がクラス会後に学校見学に来訪されました。同窓会資料室・実習場・グランド・食堂などを見学しました。 在校生の挨拶が良くできていることに感心していました。
平成30年5月31日(木)  120年史・同窓会報送付準備
120年史・同窓会報を約22000人に送付する作業は、相当以前から準備していましたが、本日で宛がきのタック印刷が一応終了しました。今後については、同窓会総会終了後に、それぞれの封筒に入れて出来るだけ早く、皆様の手元に発送したいと思っています。 
平成30年5月11日(金) 120年史印刷
一部訂正もあったが、これらも訂正して本印刷作業を開始。
同時に、本年度の同窓会報原稿も一部完成(120周年募金者一覧表・広告提供社一覧・120周年特別会計中間報告など) その他の記事については役員会終了後に原稿をまとめる事にした。
平成30年5月10日(木) 工科センターの件で会議
教育委員会施設課長・同係長・中村校長・青木教頭・林教頭・事務長・同窓会会長・吉森による会合があった。内容は新工科センタ−の基本設計の提案があった。この件について話し合いがもたれました。同窓会としては、色々な要望を提起しましたが、しばらく時間を下さいと申し入れた。 また、工期日程についても提示されました。 
平成30年4月20日(金)  120年史編集
本田・福重・前川・吉森で全体にわたって校正・検討した。また、記念誌印刷数について、卒業生・教職員・在校生・旧職員・広告掲載・学校関係などを考慮して12000冊印刷することにした。 
平成30年4月11日(水)  64回機械科卒業生学校訪問
昭和37年3月卒業生11人が学校見学に来訪。約1時間半実習場・グランド・食堂・同窓会資料室などを見学した。 
平成30年3月4日(日)  120年史編集
120年史掲載のため、学校全体の航空写真をお願いした。(上土井) 
平成30年2月17日(土)   120年史編集会議
印刷に入るため、最終的な検討を行った。また、印刷から納入までの計画も検討した。
同時に印刷会社の検討をしていたが、最終的に決定した。 
平成30年2月2日(金)  120年史編集
本田・前川・吉森で原稿の検討を行った。 午後から沼田氏(79M )とスキャナ−の修理をした。つづいてパソコンの対応も行った。
平成30年1月20日(土)  120年史編集
使用したい写真を選択する作業を、本田・前川・吉森で行った。土居氏は忙用で欠席
平成29年12月2日(土)  編集委員会
120年誌史の編集会議をした。今まで作成している原稿を検討した。
本文約75ペ−ジ、資料・広告が約70ペ−ジ位になった。
出席者は土居・福重・本田・吉森・前川。
 
平成29年11月25日(土)  野球部80周年祝賀会
野球部80周年祝賀会が行われ、カ−プから畝ピッチングコーチ新井選手が出席しました。また元プロ野球選手や社会人選手など顔なじみの卒業生が、約130名 出席した。
平成29年11月21日(日)  筒井数三氏 顧問 社葬
10月27日ご逝去になられた、筒井数三(40機卒)氏の社葬が行われ、熊野巧同窓会長が出席されました。長年母校と同窓会に対しご指導とご協力を頂きました。
本当に有り難うございました。
 
平成29年11月11日(土)  同窓会総会・120周年祝賀会
17時30分から本年度総会が行われた。
引き続き120周年祝賀会が行われました。
 
平成29年11月11日(土)  120周年式典
午前中は式典が行われた。式典では同窓会に対して広島県教育委員会 
委員長 下崎 邦明氏から感謝状が授与された。
 
平成29年11月3日(金)  〜

平成29年11月12日(日)
祝賀会の具体化
西田・加藤・河野・沼田・竹岡・村上・吉森が次のことについて、具体的に打ち合わせた。
西田氏が祝賀会全体をまとめる、そのため司会は村上氏に、来賓案内は河野氏、絵画の展示撤去は西田氏、受付などは沼田氏と本田氏と入江氏、アトラクションは西田氏、
新井選手のサイングッズ福引きは司会を竹岡氏、総会・受付・その他全体の調整は吉森、とした。
11日11時過ぎに新井選手が同窓事務局に到着。夕方から行われる祝賀会でプレゼントするグッズに新井選手のサインをお願いした。同窓会の多くのメンバ−が協力した。
作業終了後は式典が行われている会場に新井選手を案内した。

座席表・名札・受付書類などの印刷や準備は当日までに事務局を中心に進めた。
当番幹事に対して受付などの協力を随時行った。
平成29年11月1日(水)   120周年実行委員会開催
学校側・同窓会・PTAで最終の会議が行われた。 
平成29年10月30日(月)  120周年祝賀会・総会具体化
同窓会実行委員(西田・竹岡・福重・当番幹事沼田氏)として総会祝賀会の流れについてアトラクションなども含めて検討した。座席については550ぐらいとして、テ−ブル数や絵画の展示なども検討した。
また、以前から新井選手の出席について、球団側や本人と交渉を重ねた。その結果11月11日式典に出席してくれるようになった。
平成29年10月11日(水)  120周年祝賀会・総会案内
地元新聞に祝賀会・総会の広告を掲載するように手配した。
旧職員に招待状を出すため、木本先生と話し合い案内状を送付した。
 
平成29年 9月27日(水)  実行委員会
経過報告があった。再度120周年の看板をお願いした。
会議の後、同窓会室で熊野・西田・平岡・吉森が絵画展示について話し合った。
 
平成29年 9月13日(水)   120周年記念号について
同窓会報の印刷をお願いしている「徒然社」にお願いして福重・吉森・前川 が広告の件について打合せを行った。実行委員の土居氏には夕刻連絡した。
平成29年 9月13日(水)  55回電卒の方々がラジオの修理
昭和30年前後に電気科の生徒達が作成したラジオ(6球ス−パ−)が同窓会資料室に展示してありますが、このラジオを音が出るようにしたいと4人の方々が来訪、悪戦苦闘のすえ音が出るようになりました。すばらしい先輩達でした。 
平成29年 9月12日(火)  伊豆野和則(57建)来訪
伊豆野氏夫妻が来訪、南極観測船「ふじ」 で南極に行かれた時の資料の寄贈があった。
これらの物は、同窓会資料室に展示した。
平成29年 9月9日(土)  120周年記念号編集会議
福重・住吉(学校)・本田・吉森・前川が検討をした。結果として学校として110年〜120年の10年間のものを作成することになった。同窓会としては歴史的なものをまとめる事になり、2本立ての形となった。同窓会としてはB版で作成し、毎年同窓会報を送付している時期に合わせて平成30年7月に 同窓会報と一緒に送付することになった。
平成29年 9月2日(土)  120周年実行委員会(同窓会)
13:30〜実行委員会(西田・平岡・本田・入江・吉森)を開催した。募金や祝賀会について話し合った。募金は平岡氏、祝賀会は西田氏、記念誌は土居氏を中心に進める事にした
特に祝賀会の申し込み書面は再度送付することにした。9月25日に送付して10月25日を締め切りとした。
 
平成29年 8月19日(月)  旧体育館跡地の校章撤去工事
平成27年年3月31日に旧体育館が解体された後、跡地(アンツ−カ−)に描かれていた校章が本日除去工事により全面がアンツ−カ−になった。 
平成29年 8月 1日(月)   旧定時制職員から卓球台寄贈
元定時制の的場先生(社会)から卓球台の寄贈を受けたので、卓球部の高橋先生(電気)と大江先生(建築)生徒達で搬入しました。大切に使用させて頂きますと先生方は感謝しておられました。的場先生有り難うございました。 
平成29年 7月11日(火)  工科センターの件で会議
広島県警察署の施設課と広島県教育委員会施設課が来訪、学校から校長教頭等の管理職、そして要請があり熊野同窓会長と吉森が出席して、工科センターの件で会議がもたれた。 同窓会としては同窓会報に掲載したとおりの条件を再度強く申し上げました。その結果それぞれの施設課長からお知らせの通り、現在の規模(工科センター)と同程度の建物を校内の空き地に建設し、移転後に警察の建物の建設に取りかかります。と確約をしてくれました。 
平成29年 4月26日(火)  120周年について
2月27日に行われた学校との打合せ会議の結果、PTAが参加していなかったので、この日の会合を集約して、 3月14日までに具体的な内容と予算等をまとめて学校・PTA・同窓会との3者会議を早急に開催することになっていた。ようやく本日4時からその会合を行った。
この日2時から同窓生のみの実行委員代表者が集まり検討した。
4時から学校側(校長・教頭・事務長)同窓会側(西田・平岡・本田・入江・吉森)PTA欠席で行った。
平成29年 4月18日(火)  工科センターについて
前教育委員会施設課長及び同係長が転勤になり、新施設課長・課長補佐・同係長 が新任の挨拶に母校を訪問。学校長・熊野同窓会長・事務局吉森が対応しました。
内容は、前任者との約束通り今後も当局と対応します。ということであった。
平成29年 3月27日(月)  120周年について
青木教頭先生が、先日西木先生に助言した所を一部直して、 事業内容と予算等のプリントを持参されました。”記念史””と”同窓会特別号”を切り離して考えてみてはどうかなど一応意見は申し上げておきました。しかし、学校・PTA・同窓会の3者会議を早急に開き具体的に意識統一をした上で進めて欲しいと話した。
平成29年 3月24日(金)  120周年について
西木先生(青木教頭代行)が、 事業内容と予算等について具体的に集約したものを持参されましたが、事務局として要望や式典などの具体的なアドバイスをした。予算案についても根拠がハッキリしないので、ある程度の助言をしておきました。
平成29年 3月16日(木)  120周年実行委員会について
3月14日までに事業内容と予算等について具体的に集約することになっているので、校長先生に連絡を取ったが、現在まとまっていないとのこと。早くまとめて頂くように申し入れました。また、同窓会の実行委員(予定)の方々に合同の実行委員会が出来ないので、しばらく待って頂くよう手紙を送付しました。 
平成29年 3月8日(水)   工科センターについて
教育委員会施設課長及び同係長に県会議員の方と同窓会長・吉森が「工科センター・警察アパート跡に南警察署の移転」の記事が掲載された事について、そうようなことにならないよう強力に申し入れを行った。 もし撤去になる場合は条件として、現在の工科センターと同等なものを校内に建設するということで県会議員2名同席のもとで約束しました。入学試験中で唐立校長が同席出来なかったので、学校に帰り上記のことについて連絡しておいた。
平成29年 3月1日(水)  羽田孝彦元京阪神支部長(副会長) ご逝去
本日羽田孝彦氏が、ご逝去になられました。長年京阪神支部長(副会長)としてご協力頂きました。特に母校が甲子園に出場した時やラグビー部が花園に出場した時などは、京阪神支部の方々と一緒に大変お世話になりました。羽田氏の在りし日のお姿を偲びご冥福をお祈り致します。 合掌
平成29年 3月1日(水)   工科センターについて
本日学校評議委員会終了後に、熊野会長・平岡副会長・西田・福重・吉森が懇談した結果、
教育委員会施設課に県会議員の方と同窓会長・吉森が「工科センター・警察アパート跡に南警察署の移転」の記事が掲載された事について、そのようなことにならな為強力に申し入れるよう話し合った。 この件については、後日皆実高校同窓会・進徳高校にも話しておくことにした。
平成29年 2月27日(月)  120周年実行委員会(第1回)
PTAは欠席した。学校からは校長・2教頭・事務長・関係の先生方約20名で120周年事業について、話し合ったが、学校側の事業内容がハッキリしなかったので、まず予算化して欲しい旨依頼した。学校は3月14日までに具体的な内容と予算等を集約し学校・PTA・同窓会との3者会議を早急に開催することになった。
また
 工科センター撤去のニュースについて話題が出て、工科センター設立の趣旨等について説明した。そして、教育委員会との対応についてる話し合った。
平成29年 2月25日(土)  120周年実行委員会案内
27日(月)16:00〜学校・同窓会・PTA合同会議の案内をする。
西田・平岡・入江・土居・本田・福重
 
平成29年 2月23日(木)  120周年記念事業実施について(同窓会)
実行委員会出席(2月27日予定)時の対応について同窓会としての話し合いをした。
出席は 西田・平岡・入江・土居・福重・吉森でした。
 
平成29年 2月22日(水)  工科センター・120周年について
2件について 唐立校長・青木教頭先生に、早く対応して欲しいと再度話しておきました。
平成29年 1月30日(月)  卒業生から工具一式の寄贈
69回機械科卒業生(東堂義明氏)から、機械工具一式・測定器などの寄贈がありました。
自宅まで行き、これらの器具を頂きました。機械実習場や工科センターに置いて有効に使用して頂くことにしました。
 
平成29年 1月26日(木)  工科センターについて
工科センター撤去のニュースについて、本日も同窓会員から、状況について問い合わせがあった。この件については、同窓生としては心配でありよく電話や来訪者があります。 
平成29年 1月21日(土)  工科センター・120周年について
・120周年事業について強力に押し進めて欲しい 
・工科センター撤去のニュースについて教育委員会等関係するところに、工業教育の重要
 性などを念頭に入れて善処して欲しい
上記2点を中心に校長先生・教頭先生に対して、同窓会事務局から強く要望をしました。
 
平成29年 1月16日(月)  工科センター撤去の新聞記事
この件について、学校長・熊野同窓会長と連絡を取り、教育委員会施設課と連絡を取りました。この内容について直ちに同窓会常任理事に対しても現在までの状況を手紙にて連絡を取りました。また、関係者の方々とも連携をとっているところです。 
平成29年 1月14日(土)  工科センター撤去の新聞記事掲載
昨年11月末に 教育委員会施設課から連絡があり、この件について、学校長・熊野同窓会長から、撤去については絶対に反対する事で強力に申し上げていました。が一方的に地元新聞に「工科センター・警察アパート跡に南警察署の移転」の記事が掲載されました。
平成28年12月19日(月)  120周年実行委員会(同窓会)
同窓会として仮の実行委員会メンバ−(福重氏)を作成した。 
平成28年12月15日(木)  120周年について学校側と話し合い
学校の管理職3人に対して、早く学校側の基本方針など決定して組織を立ち上げてほしいむね、強く申しいれました。 
平成28年12月12日(月)   卒業生からの寄付の対応
48回電気卒の浜岡氏から多額のご寄付を頂きましたので、お礼に自宅を訪問しました。
平成28年11月29日(火)  工科センタ−について教育委員会施設課来訪
工科センタ−の跡地に何らなの施設を建てたい・・・等の相談がありました。
学校長・熊野同窓会長・ 
平成28年11月23日(水)  新井貴浩選手(広島カープ)祝賀会出席
2000本安打達成・300本本塁打等のお祝いの会があり、出席しました。駒沢大学同窓会が中心となって行われましたが、県工からは新井選手の同級生と高校時代に一緒にプレーした方が出席しました。
 
平成28年11月21日(月)  中国電機製造支部から寄贈
支部の 庄野・田中氏が温度計を電気科の教材として使用してはと・・・・持参されました。
この事については電気科の松浦先生が対応されました。
 
平成28年11月21日(月)  教育委員会施設課係長来訪
工科センタ−の使用等について唐立校長を、教育委員会施設課係長が相談に来訪、工科センタ−設立の趣旨と利用などについて、同窓会から説明した。同窓会長にも連絡をした。
平成28年11月19〜・20日  アーキウォーク広島開催
旧陸軍被服支廠倉庫(レンガ倉庫)について、建築やデザインを学ぶ学生・社会人による議論の場として、県工同窓会のある建物(工科センター1階)でレンガ倉庫の模型作り(1/200・1/50)が2日間行われました。広工大の杉田三郎先生が中心となって関心のある一般の方々や学生達が参加されました。また、当日はレンガ倉庫内も一部一般開放され見学者もありました。私も時間の許す限り協力しました。
平成28年11月20日(日)  120周年実行委員会開催
以前から学校からの周年行事の計画等について、指示を仰いでいましたが、ハッキリとしたものが示されませんので、同窓会としては周年行事についてどのようなことが出来るか・・・
同窓生だけで実行委員になっていただける方に集まって頂きました。 そして、学校側から指示が有り次第ずくに対応できるよう話し合いを持ちました。
平成28年11月14日(月)  50回機械クラス会から寄付
50回クラス会が毎年行われていますが、皆さん体調不良などで参加が難しくなってきたので次回から全員には呼びかしないことにしました。したがってクラス会をいったん解散して会を縮小するすることにしたので、これまでのクラス会の残金を同窓会に寄付したいと申し出がありました。幹事の八塚氏が19、039 円を持参されました。同窓会として寄付金として扱うことにしました。
平成28年11月 3日(木)  絆の会(安佐北区)開催
安佐北区高陽・白木地区の卒業生の集いの会がありました。事務局から吉森が出席しました。学校の近況等を話しました。小林誠二氏(78回)が講演するので、彼のスライドを作成して持参した、67めいの出席者があった。 
平成28年10月 6日(木)  通学路の楠木について
以前から皆実高校の同窓会報に掲載するため楠木について、相談を受けていました同窓生(濱永映一氏)と調査した結果ある程度の結論が出たので会報に掲載し、その会報を持参されました。この事については、もう少し詳しく調査して本校の同窓会報に掲載することにしています。その後10月18日皆実高校卒業生(稲田俊一氏ほか2名) がもっと詳しく調べたいと言うことで、4人で長時間検討をした。
平成28年9月27日(火)  卒業生から絵の寄贈
深田 弘氏(67機)の絵馬が宮島千畳閣に奉納されました。
この事についての経緯などの資料を持参されましたので、同総会資料室に展示しました。
 
平成28年8月19日(金)  慈母観音像について
平和大橋下詰めにある慈母観音像について関係各校が集まり、第1回目の会合が行われました。 
平成27年12月28日(月)   ラグビー全国大会応援に参加
大阪花園ラグビー場に応援に行く。スタンドでは保護者・生徒・教職員・広島県人会・ラクビーOB・県工京阪神支部など多くの方々の声援を受けて、秋田中央と戦いました。9年ぶりの出場でありましたが63対3で敗退しました。ご声援有り難うございました。 
平成27年11月25日(水)  原爆犠牲者の資料提供
縫部氏(50回電)から犠牲になった弟さん(当時1年生)の 行動について、家族の皆さんが中島町周辺を弟さんを捜して、遺体を確認したときの様子など、当時の事を細かく記録された資料を提供されました。
平成27年7月26日(日)  学徒動員合同慰霊祭
8時に学徒動員合同慰霊祭が平和大橋河畔の慈母観音像の前で行われました。
10時頃まで行われ、各学校のご遺族の方や生徒達そして関係者の方々多数の出席の元、合同慰霊祭が行われました。 
平成27年 4月23日(木)  フライス盤の提供
三菱重工業鰍ゥらフライス盤2台を、格安の値段で頂く事になりました。この事については、三菱重工業支部長(76回卒梅田氏)のお力添えと、重量物運送の葛k運送店(99回卒栗原 学氏・102回卒橘 義昭氏)ご兄弟の全面的な奉仕活動により、機械実習場に据え付けられました。朝から夕刻までまる1日をかけて作業をしていただきました。本当に有り難うございました。 
平成27年 4月 6日(月)  元校長(尾形作吉)について
初代学校長 尾形作吉(明治30年〜38年)氏のお孫さん達4名が同窓会事務局を訪問、皆さんはマカオ・ホンコンにお住まいのため、日本語が通じなかったので大変でした。でも、感激して帰られました。 
平成27年 3月31日(火)   旧体育館解体工事終了
昭和39年に建設された、体育館が耐震・老朽等の面から解体工事がされていましたが、本日をもって、解体工事が終了しました。跡地はアンツーカーになっています。
学校の通用門 正面からは、西側にあるレンガ倉庫群が大きく姿を現しています。
歴史のある学校と、被爆建物のレンガ倉庫群が目に入ります。
平成27年 3月14日(土)  松前 実先生ご逝去 
元校長の松前先生(43機)がご逝去になられました。先生は母校に対して大きな力を与えてくださいました。近年先生の近況を教えてほしいと、多くの卒業生を始め関係の先生方から連絡を受けていましたが、本日自宅で帰らぬ人になられました。3月16日に葬儀が行われました。 謹んでお悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をお祈りいたします。    合掌 
平成27年 2月20日(金)  宇治野(63機械卒)氏来訪
ベアリングの教材を寄贈されましたので、機械科の授業に使用していただくために機械科製図室に提供した。 
平成26年12月 8日(月)  旧体育館解体工事始まる
昭和39年に建設された、体育館が耐震・老朽等の面から解体されることになりました。本日から解体工事が始まりました。 したがって生徒・職員・来客等は正門から登下校することになりました。
平成26年 9月25日(金)  ワイテック鰍ゥらグランド借用
野球の試合をするためワイテック鰍フグランドをから借用することで、堀川野球部長と会社を訪問した。 
平成26年 8月20日(水)  広島市安佐南区・安佐北区大雨
この日の真夜中 八木・緑井・可部・三入その他多くの地域が、集中豪雨のた大規模な土砂災害が発生して、多くの犠牲者や家屋などの被害がありました。 
平成26年 7月16日(水)  旧職員から資料の寄贈
三浦先生(電気)から”世界遺産DVDコレクション”90巻の寄贈を受けました。
教材としても大変貴重なものです。大変ありがとうございました。
 
平成26年 3月26日(水)  飾棚完成
石田幸治(70回電気卒) 氏からご寄付をいただいて、建築科の沖野教諭の指導によって、優勝旗等の飾棚の、製作をしていましたが優勝旗・カップ飾棚6点とアルバム等の収納できる本棚6点すべてが完成しました。工科センターに設置しました。
平成26年 3月14日(金)  原爆資料館の対応
本校の生徒が昭和20年8月6日中島町で、建物疎開の作業中被曝しました。その時の学生服が資料館にありました。その確認のため、学芸員の方とNHK放送局が来訪、確かに本校の土木科1年生の物であることが確認されました。 
平成25年11月 5日(火)  学校の煙突が撤去
昭和28年に千田町校舎から現在の出汐校舎に移転した時に設置されていた機械科の鋳造実習場にあったコンクリート製の煙突が本日解体撤去されました。 
平成25年 6月17日(月)  卒業生から多額の寄付金をいただく
石田幸治(70回電気卒) 氏から100万円のご寄付をいただきました。本人の意向を踏まえて、校長先生と相談して校内に形として残る物にしたいと考えています。
現在は工科センター内に、優勝旗やカッブなど対外試合で表彰された品々を陳列する、陳列棚を設置することにしています。ご寄付大変ありがとうございました。
平成25年 5月31日(金)  56回機械科卒業生学校見学 
クラス会をする前に学校の見学をしたいということで、20名の方が学校訪問をされました。機械科の実習場やグランドなどを案内しました。
平成25年 1月18日(金) 
        〜23日(水)
時計塔・校門の校章の取り付け
かねてから生徒が鋳造して制作していた校章・標語"努力は天才に勝る" (筒井氏直筆)を
、田口校長自ら指導しながら、生徒が設置作業を始めた。
平成24年7月26日(木) 94回全国高校野球優勝
平成24年 1月10日(火) 島本和成先生(59電卒)自主刊行本を寄贈
「風雪に耐えて」・・・・ある中国残留孤児の記録(写真集)
平成23年12月21日(水) 旧正門の門灯工事施工
昨年門柱に門灯を取り付けましたが、今回サブの門柱に石造りの飾り碑を要源石材(69回)のご協力により取り付けることが出来ました。これで原爆で倒壊した校門が完全に復旧することが出来ました。
平成22年 4月19日(月) 原爆犠牲者遺族から"花立・高炉"の寄贈を受けた
本日は母校慰霊碑の2箇所に、遺族の石津さまご夫妻から石造り"花立・高炉"の寄贈を受けました。大変有り難うございました。心からお礼申し上げますとともに、今後大事に使用させていただきたいと思います。