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三段峡慰霊祭   (事務局)                             事務局へ戻る

令和2年11月1日   三段峡夫婦淵に参拝 
本年は11月1日14時頃に参拝しました。 コロナ感染症の関係か三段峡に来る人が少なかったように思いました。
何時もながらこの頃は秋の紅葉真っ盛りで 、最近は海外の方もよく見かけます。また、小さいお子さんから高齢者の方若いカップル中でも愛犬を連れて観光に見えています。
私は、いつも通りお花を供えて帰りますが、いつ来てもお花は供えられています。
 
   


 平成30年11月3日   三段峡夫婦淵に参拝
 昨年は母校創立120周年事業のため、参拝することが出来ませんでした。
本年は11月3日文化の日に三段峡に参拝することが出来ました。いつもながら花が供えられていました。
この日は晴天に恵まれ、事故のあった日(66年前)とよく似た、このあたり一帯が紅葉に染まっていました。
今は多くの観光客が、碑の前を三段の滝までハイキングに通って行きます。中にはこの碑について語りかけてこられる方も多くあります。(1952年11月2日午後、当時皆実高等学校 工業部造船科のクラスの生徒と引率の先生方が夫婦淵に設置されていた遊歩道橋が倒壊して、生徒7人が犠牲になりました。工業部造船科はその後広島県立広島工業高等学校造船科となりました。また、造船科はその後大崎高校に移動しました。)    同窓会事務局 吉森(59機卒)

遊歩道から夫婦淵を望む 

遊歩道の山側にある慰霊碑前で 

上流の深入山方面にある紅葉 


平成28年11月26日   三段峡夫婦淵に参拝 
日程の都合がつかず、のびのびになっていましたが、本日やっと参拝することが出来ました。
この時期になると紅葉はほとんどなく、三段峡を訪れる人もほとんどありませんでした。慰霊碑には何時もお花がありますが今年は淋しい状態でした。持参したお花を供えて新しく川の水を入れておきました。私は当時は中学生でしたが手を合わせると64年前の時代、そして事故を連想し悲しくなります。でも、夫婦淵は何も無かったかのように今日も、すばらはい秋の渓谷美を見せてくれました。                        同窓会事務局 吉森(59回卒)
 
  慰霊碑前で・・・・・・ 夫婦淵にある遊歩道 人影あたりが慰霊碑です 

平成27年11月3日   三段峡夫婦淵に参拝 
JR線が廃止になり、普段は訪れる人も少ないようですが、秋の紅葉シーズンになると例年のように紅葉を楽しむ人が多くなります
今日も例年と同じく、 ハイキングに多くのハイカーが通り過ぎて行きましたが、碑に刻まれている内容を見て、話しかけてこられる方がおられました。 ここには広島工業高校造船科(7人)の生徒が眠っています・・・63年前のお話をします。夫婦淵は、何も無かったかのように今日も、すばらはい秋の景色を見せてくれました。  同窓会事務局 吉森(59) 
  事故のあった現場夫婦淵にある慰霊碑  三段峡入り口から 夫婦淵に向かって

慰霊碑前から三段峡入り口方面に向かって
 慰霊碑前は夫婦淵です 

平成26年11月3日   三段峡夫婦淵に参拝 
   
左は途中にある赤滝
上は赤滝から上流を望む
 
写真中央の橋手前の山肌に慰霊碑があります
橋の斜め前方が夫婦淵です
 11月3日の休日の日に例年のように現地に参拝しました。いつも慰霊碑には多くのお花が捧げられています。62年前のこの時期に、同じようなこの美しい景観を楽しんだであろう皆さんの、気持ちを思いなんとも言えない、やりきれない気持ちになって現地を後にしました。
今日も例年と同じく、 ハイキングに多くのハイカーが通り過ぎて行きますが、碑に刻まれている内容を見て、話しかけてこられる方もおられました。
夫婦淵は、何も無かったかのように今日も、すばらはい秋の景色を見せてくれました。  同窓会事務局 吉森(59) 


 平成25年11月4日   三段峡夫婦が淵に参拝
11月3日は雨が降ったので、4日に参拝しました。
この日も曇りがちな天気であったが、事故があった時間に合わせて午後2時ごろに現地を訪れました。

当時
皆実高等学校工業部造船科の一クラス(3年生)の方々が、景勝地三段峡を訪れた時に、ランカンが倒壊する事故にあい、7名の方が犠牲になられたところです。   (事務局 吉森)

 
 
        猿飛

平成24年11月4日   三段峡夫婦が淵に参拝
11月4日(日)例年のように、夫婦淵の慰霊碑に参拝しました。
何時来てもきれいな花が、生けられています。
ハイキングに多くのハイカーが通り過ぎて行きますが、碑に刻まれている内容を見て、話しかけてこられる方がよくおられます。
この夫婦淵は、何も無かったかのように今日も、すばらはい秋の景色を見せてくれました。             同窓会事務局 吉森(59機卒

平成23年11月13日   三段峡夫婦が淵に参拝
土日はこのところ1ヶ月くらい雨ばかり降り参拝することが出来ませんでした。13日(日)ようやく雨が上がったので、遅ればせながら現地に参拝しました。何時行っても碑には花が供えられています。地元の駐車場のおじさんと、遭難のことについて話しましたが、地元の方も60年前のことはハッキリと語り継がれていないようでした。こんなことを考えるとちょつと寂しい気持ちになりました。県工同窓会としては、少なくとも毎年参拝は続けていきたいと思っています。
何時行っても夫婦淵に近ずくと、昭和27年頃の県工3年生が(造船科3年生)就職も決まり、紅葉を見るため先生を含めクラス全員でこの地を訪れて楽しい時間を過ごし、3時前後には皆で記念写真を撮ろうとした時に、欄干が落下して多くの生徒と先生が事故に会われたことを思い起こし、なんともいえない寂しい思いに駆られます。
現在は、このあたりはしっかりとしたコンクリートの歩道になっていますが、紅葉を見にこられる多くの方々は、このような事故があったことはご存じないと思います。 今日も多くの観光客が三段峡を目指して、上流の方に歩いていかれました。・・・・     同窓会 吉森(59機卒
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平成22年11月3日   三段峡夫婦が淵に参拝
11月3日の休日の日に例年のように現地に参拝しました。いつも慰霊碑には多くのお花が捧げられています。58年前のこの時期に、同じようなこの美しい景観を楽しんだであろう皆さんの、気持ちを思いなんとも言えない、やりきれない気持ちになって現地を後にしました。                                                                                              同窓会 吉森(59機卒

平成17年11月5日   三段峡夫婦が淵に参拝
11月5日に参拝をかねて三段峡に参りました。遭難現場の夫婦淵は工事が終わり立派な遊歩道になっていました。
慰霊碑には、多くの菊の花がお供えしてありました。元の三段峡駅前から歩いて30分の位置が夫婦淵です、
その間に見られる紅葉に染まった三段峡の景色は遭難にあった当時(昭和27年11月2日)の造船科3年生達も目にした風景であったことでしょう。そのことを思うとき胸が締め付けられました。 
          同窓会 吉森(59機卒)         
11月5日に参拝をかねて三段峡に参りました。遭難現場の夫婦淵は工事が終わり立派な遊歩道になっていました。
慰霊碑には、多くの菊の花がお供えしてありました。元の三段峡駅前から歩いて30分の位置が夫婦淵です、
その間に見られる紅葉に染まった三段峡の景色は遭難にあった当時(昭和27年11月2日)の造船科3年生達も目にした風景であったことでしょう。そのことを思うとき胸が締め付けられました。 
          同窓会 吉森(59機卒

平成16年11月3日   三段峡夫婦淵に参拝
11月3日に参拝をかねて三段峡に参りました。遭難現場の夫婦淵は現在厚いコンクリートの歩道に改良工事中でありました。
慰霊碑には、お花とお酒などがお供えとしてあげられていました。工事の人のお話によると、10月末から11月上旬にはお参りになる方がおられたそうです。現在も8月中旬には、柴木地区の子供会の方々が慰霊祭を行ってくださっています。大変ありがたいことです感謝申し上げます。
                                                                        同窓会 吉森(59機卒
11月3日に参拝をかねて三段峡に参りました。遭難現場の夫婦淵は現在厚いコンクリートの歩道に改良工事中でありました。
慰霊碑には、お花とお酒などがお供えとしてあげられていました。工事の人のお話によると、10月末から11月上旬にはお参りになる方がおられたそうです。現在も8月中旬には、柴木地区の子供会の方々が慰霊祭を行ってくださっています。大変ありがたいことです感謝申し上げます。




                                                                  写真は 遭難現場が現在工事中(河川から)     

平成13年8月11日(土) 三段峡夫婦淵 慰霊碑前
戸河内町の三段峡で1952(昭和27)年11月2日(土)橋倒壊により、本校造船科3年生7人が死亡した事故の50回忌が、当時の同級生や教師学校・同窓会関係者、遺族のほか、当時救助に当たった地元の人などが参列して法要が行われました。当時担任だった山本先生は『あまりにつらく、事故後初めてこの地を訪れた。今は生徒の分、精いっぱい生きていこうと思えるようになった。長い間、見守り続けた地元の人に感謝したい』とお話になっていた。
事故の翌年から地元の柴木地区子ども会・地元関係者を中心として、慰霊碑周辺の清掃などを長年にわたって実施されてきました。このことに対して深く感謝申し上げます。
同級生 担任の山本裕一先生