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48電   (クラス会)                                  支部・クラス会へ戻る
平成27年11月4日  クラス会 (昭和21年3月卒業)  ホテルグランヴィア広島にて
我々のクラス会はこれで最終である。我ら同級生にとっては大ニュース、なれど時期を得た決断と思われる、
人はいつ迄も青春ではない、我らのごとく老域となると、目が悪くなる、耳も確かでない、頭も混乱不明、動作も緩慢など等の状態となる、世の中のことも人生も時期と共に決断しなくてはならない事がいろいろある、クラス会といえども圏外ではないことだ、幹事諸氏には心から感謝いたします。
最後に当たり、懐かしい母校を想い出してみよう。

 ○ 千古に茂る宇品山・・・・・・・・・・(旧校歌) 
 ○ なお、そは如何なる日ぞ、県工の門に入りし日ぞ、そしてい出し日なり、・・・・・(入学式、卒業式写真より)
  1946年(昭和21年3月)卒業の時の写真です

学生服の袖にある、三角形の白線が県工の誇りでした。
 ○ 朝広い校庭には各科の級長の号令が響いていた。また生徒監の怒号もあった。終わると全速駆け足で教室に 這
  っ ていた。
○ 通学には黒い風呂敷の荷物を脇に抱え、電車で鷹野橋、電鉄前を使っていた。南大橋があり、臭い魚市もあった。
○ 校庭に向かって建築科の古い実習室、次いで電気科の新しい実習室があった、
○ 担任は藤原・永原・岩原(旧姓 林)先生であった。
○ 向かいは吉島の塗料工場の臭い異臭がよく教室に入っていた。
○ 授業中、静かな教室に、ほわい、ほわいの町の声が聞こえていた。
 
 1943(昭和17年)4月入学したときの写真です

    ○ 残り少なき我が身なれど
            限りある身みの力ためさむ。
  
    ○ おお友よ
            とこしえに幸いあれ、さらばなり。 (白砂)
2015年(平成27年)11月4日

ホテルグランヴィア広島にて

最後になるかもしれないクラス会に
出席した級友です。 
 
                  残り少なき我が身なれど
                       限りあるみの力ためさむ。

                  おお友よ
                       とこしえに幸いあれ、さらばなり。                 世話人  白砂

平成26年11月4日    クラス会  (昭和21年3月卒業)  ホテルグランヴィア広島にて 
今回も会えて喜びとしたい、幹事氏に感謝、
お互いに八十路を歩んでいる、その歩みはいつ迄のものやらよく判らない、一朝有事あれば忽ち緊急事態となる、この理は何人といえども変えることは出来ない、如何にもはかなきことなり。
我が庭先にある日突然真っ赤な彼岸花が咲いた、まさに”淋しかった僕の庭にバラが咲いた”の感じであった、シングルライフを営んでいる身を哀れんでのお恵みと思った、以前ここは草を削っていて根玉を半分に切ったのであったがそれにも拘わらず、きれいな花が咲いてくれたのである、初め一本あったが余りほめ喜んだため8本も咲いた、自然界のお恵みお計らいに感謝したのであった。

  ○ 湖岸ばな   一人暮らし   あわれみて
               赤くほころび   我をなぐさむ。
  ○ 校歌なり   千古に茂る     宇品山
               心にしみて     歌うは今も。
  ○ 過ぎ行きし  あの日あの時  あのことが
               昔のひかり     探せど見えず。 (白砂)

平成25年11月6日    クラス会  (昭和21年3月卒業)  ホテルグランヴィア広島にて  
今回も会うことが出来て喜びとしたい。お互いにすでに80才き過ぎた、実に人生は早い、我ら県工で学んだのはつい先達てのようであるが、入学したときのことを諸氏は覚えているだろうか、何事も第一印象は鮮明にそのことは長く残るものであるが、入学したのは戦時中昭和17年であった、校庭に入りその空気、環境を体感味わったことであった。その場所は独特の雰囲気、味わいがあり、県工にもその印象があった。
そこでいささか私事であるが我が入学式のことである。かかるときには大概母親でなく父親が来た、忙しい百姓の間を縫って来てくれた、そのとき制服や高価な製図器を買ってくれた、乏しい家計の中から買ってくれたことはよく判っているが父親は言わなかったが、自分は随分すまない気持ちで一杯であった、入学式についてはそんなつらい思い出があった。

  ○ えにしなり  机なせべし  仲なりき
              今日まみえて  共にかたらむ。

  ○ かく生きて  かく過ぎにれり  我が人生
              ここらで終幕   手を打つかや。

  ○ ふと目覚め  寝つかれぬまま   想いだし
               千古に茂る     宇品山うたう。

平成23年11月18日    クラス会  (昭和21年3月卒業)  ホテルグランヴィア広島にて
10年近く前から参加者全員の希望により毎年クラス会を開催しております。然し常連の参加者もだんだん減って、今年は過去最少の9名となりました。
欠席者の欠席理由は体調不良(転倒骨折・癌治療・高血圧・歩行困難等々)が殆どですが、出席者は談論風発、時の経つのも忘れ大いに愉快にやりました。設定時間を大巾にオーバーし、明年の再会を約して閉会といたしました。
                                                           世話人 篠崎 昭巳

平成20年11月14日    クラス会  (昭和21年3月卒業)
48回卒業生のクラス会で学校の施設見学をされました。
戦時中に、あの立派な正門をくぐり勉強してきた、大先輩達は現在の、実習棟の充実振りに感心されていました。
昭和21年3月千田町校舎で卒業になりました。 その時にはあの立派な正門は倒壊してなくなっていたと話されていました。
62年ぶりに母校を訪ね、皆さん懐かしそうに昔の話題に花が咲いていました。
学校見学後は、全員で会食して散会されたそうです。

各実習場を見学された時は、若き時代にもどり青年のような目の輝きが見られました。

                   同窓会事務局  吉森
100周年記念碑前で記念写真
電気計測見学 土木実習棟見学 建築実習棟見学 同窓会資料室見学