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75機C組   (クラス会)                                 支部・クラス会へ戻る

平成26年 8月16日 17:00〜     ANAクラウンプラザホテル広島

年月が経つのは早いもので、昭和48(1973)年に県工を卒業して41年になります。その間、恩師の吉田義夫先生、升田静人先生、南部實朗先生が他界され、同級生の境谷博君と前田勝孝君も故人になりました。
開会に先立ち、全員で亡くなられた方々に謹んで哀悼の誠を捧げ、1分間の黙祷を おこないました。

当日集まった19人をはじめとする同級生は皆、これまでに多くの成功と輝かしい成果をあげてきました。しかし、この41年を顧みたとき、数々の成功と成果をあげるにはそれ以上の失敗と多くの挫折も同時に経験されたことでしょう。

人生において、成功することはとても重要なことであり、生きていく過程での目標・目的でもあります。それゆえに最も大切なことは、めざすものへの道のために努力を続け、その努力を積み重ねていくことではないでしょうか。不断の努力をすること、それこそが人生の意義であり、生きてきた価値であ ると考えます。

歳月を重ねて還暦を迎えるいま、高校生活はおそらく最も想い出多き3年間だったでしょう。クラス会実行委員は、この日を皆が高校時代を懐かしみながら旧交を温め、お互いの人生を讃え合う場にしていただきたいと願って、1月から準備をしてきました。

歳とともに風貌はある程度変わりましたが、元気の良さは高校時代のままです。迫田宏治君(広島市在住)の乾杯の発声で始まった会は全員、大いに飲んで大いに楽しみました。とても還暦の集まりとは思えない元気の良さに、お互いが感心するほどです。途中、当日誕生日の中谷隆君(大阪府在住) に、ホテルから花束のサプライズがありました。
あっという間の3時間が過ぎた最終盤では、応援団で活躍した池田宣政君(三重県在住)のリードで校歌を斉唱、県工卒業生という誇りを胸に、盛会の内に閉会しました。

最後になりましたが、当日は同窓会事務局長の吉森秀夫先生にご多忙にもかかわらずご臨席いただきました。同級生を代表して御礼申し上げます。あ りがとうございました。
 「5年後、10年後、再び一堂に会することを願って」                   平成26(2014)818

             第75回機械科C組クラス会実行委員会   楚輪 司   浪越 定雄    濱野 勝(文責) 

   
乾杯の音頭 迫田
出席者 全員 

     
この日が誕生日の 中谷 隆君 ホテルから  元応援団長の池田 宣政君  全員で声高らかに校歌を斉唱 


平成20年 8月16日    機械科C組クラス会  (昭和48年3月卒業)
卒業35年ぶりに、8月16日(ホテルチュウリッヒにおいて)のクラス会は皆さんの協力のお陰で、とても楽しく、和やかに終えることが出来ました。”ありがとう・・・・”
久しぶりに見る皆の顔はとても、アガッテイマシタ(頭が・・・・・・)
「歳をとったの〜・・・・」と私は思いましたが、皆さんも私を見てそう思ったでしょうね(笑い)
亡くなった吉田先生・前田君・境谷君に開会前に黙祷をさせて頂きましたが、元気で生きておれば、又の「再会」を喜ぶことも出来ます。
私事で恐縮ですが、私は”絶煙”して27年になります。曰く、「腹は黒いが胸は白い」です。(笑い)
また、「C型肝炎」になっていて(40歳の時に発覚)入院、通院(半年パターン)のインターフェロン治療をのべ3回チャレンジして何とか勝ちました。 私は性格は素直(単純)なのですが、私のウィルスはとても頑固で量も多く難治性で苦労しました。
大好きな酒も4年間一滴も飲みませんでした。
何故頑張れたか?「絶対に病気に勝ってまた酒を飲むんじゃ!」という単純な目標があったからです。(笑い)足掛け13年戦いましたが、要は「気力」です。
私たちはこれから人生の後半戦に入りますが、目的、目標をしっかり持って人生を楽しんでチャレンジして行きましょう。
先に逝った友達の為にも我々は頑張らなければいけないと思います。
次回は”還暦”の60歳の節目で行うことを約束しました。
幹事は楚輪君がやってくれるそうです。
後6年ですが、皆さん健康に留意して今回は残念ながら参加できなかった友人も、顔を見せて欲しいと願っています。

皆の健康と幸多き事を願って「またの!!」   幹事 迫田 宏治
南部先生 廻船 迫田
参加者全員 若き時代に戻って迫田・南部・廻船