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57機  (クラス会)                                    支部・クラス会へ戻る

 平成29年7月7日(金) 12:00〜   広島国際ホテルにて

平成29年8月7日

県工 M−57同期会 平成29年「七夕懇親会」 の開催

平成29年7月7日(金)12時より、広島市中区立町の「ひろしま国際ホテル」において、M−57同期会の、平成29年度「七夕懇親会」が、27名の参加者のもと、賑やかに開催された。

この同期会は、60歳還暦記念から始まって、65才老人入り、70才古希、77才喜寿、昨平成28年の80才傘寿と、全国呼びかけの大型同期会を開催してきたが、次の節目の88才米寿の展望が見えないので、終止符を打ったものである。

しかし、広島在住を中心として、20年以上、連綿とし継続している中型同期会は、今後とも年1回は開催することにしていて、憶え易い7・7ゾロ目、「七夕の日」を設定して開催した。

従来は、18時開催であったものを、今回は12時開催としたため、2次会参加が困難になったと嘆くものもいたようである。また、再遠方参加者は静岡市からの出席で、小演説をして乾杯の音頭を取った。

セットしたカラオケに興じる者もなく、談論風発、大いに盛り上がり、お互いの健康と交友に感謝し、末永くボケないで生きぬことを誓い合い、有意義なひと時を過ごした。

                幹事代表 光広 礼二 記 

 

 平成28年4月4日(月) 12:00〜   ホテルセンチュリー21広島にて

傘寿記念 第6回 県工−M57同期会 の開催
 平成28年4月4日(月)12時より、広島市駅前の「ホテルセンチュリー21広島」において、県工機械科第57期(昭和30年3月卒業)の傘寿記念と銘打った、第6回となる全国呼びかけの大型同期会が、東京、神奈川からの参加も得て、総勢37が参集して盛大に開催されました。
本同期会は、平成6年3月、日本経済を支える現役中の開催と位置づけて第1回を開催して以降、全国呼びかけの大型同期会としては、平成10年3月に、定年退職到達の区切りの第2回、平成13年6月に、老人手帳受領記念として第3回、70歳の“古稀”を祝した第4回、数え年77歳喜寿到達を記念した第5回を経て、本年満年齢で80才に達し、めでたく区切りの「傘寿」を迎え、男性の平均寿命まで達者に生きてきたことを感謝し、この第6回を「人生の総括的な集い」にしようとして開催したものです。
 来賓として川口先生より、当時のあれこれを偲ぶご挨拶があり、母校から吉森秀夫同窓会事務局長が特別参加をされて、当時の学校、先生、生徒等の写真をアレンジされた特別スライドが上映されました。
 その後、当時のエピソード、往年の“反省”、近況報告等、5テーブルを巡って賑やかな話の花が咲き、また、のど自慢も飛び出し、明るい笑い声が渦巻いて、3時間余の時間を短く感じる大成功の集いとなり、それぞれの生涯のラストシーンの、よき思い出の一頁を飾りました。
 今回をもって、全国呼びかけの大型同期会は、最終回となりました。
(次期の区切りは「米寿」の88才、これはムリでしょう。)
長年の幹事会メンバーには、暦年の諸経過を想い感無量のものがあります。
しかし、来年度からも、これまで毎年継続してきた30名程度の「中型同期会」は継続していくことを確認しています。
「寿命」からみて、何時まで続くことやら………。

    世話人 代表:光広 礼二  瀬戸中 良弘 植木 嗣夫 東 克彦
                中島 晃壮  山下 浩   横谷 治郎 桑原 晴義

      アルバム担当:渡部 弘行 

 
 


平成25年4月9日(火) 12:00〜   広島国際ホテルにて 
 県工M57 同期会有志 平成25年春季飲み会(花見宴会)を行いました。スライトを見て若き時代にタイムスリッブして若返ったひと時でした。参加者は27名でした。
欠席者の大きな理由は、ほとんど次の3っに集約できると思います。元気なうちに皆さんと逢いたいものです。
@自分の身体が病気または、後遺症のため体調が良くない・・・・。
A体調は良いが町内会行事または、旅行中である等・・・・。
B家族の病気看病など・・・・。
   

平成24年3月8日(木) 12:00〜  ホテルセンチュリ−21広島にて

喜寿記念 第5回 県工−M57同期会 の開催 

平成24年3月8日(木)12時より、広島市「ホテルセンチュリー21広島」において、県工機械科第57期(昭和30年3月卒業)の喜寿記念と銘打った第5回同期会が、東は東京・横浜、西は九州から総勢43名が参集して、盛大に開催されました。

来賓として母校から吉森秀夫同窓会事務局長が参加され、また、松前實先生から心温まるメッセージが託され、錦上花を添えて頂きました。

本同期会は、平成6年3月、日本経済を支える現役中の開催と位置づけて第1回を開催して以降、 平成10年3月に、定年退職到達の区切りの第2回、平成13年6月に、老人手帳受領記念(政府が“老人”として認めた65歳に到達)として第3回、70歳の“古稀”を祝した第4回に続く、数え年77歳喜寿到達を記念して、完成期に達した人生の大きな節目に、昭和の激動と平成の混迷を強く生き抜いた“同期の桜”が、大いに語り飲み、それぞれの生涯のラストシーンのよき思い出にしようとして開催したものです。

吉森事務局長からは、私たちのために特別に編集・パソコン処理された、昭和27年から30年に至る在学時代の、学校の実習教室や諸先生方の写真、クラス別に作成された我々の紅顔の美少年時代?の姿等がスクリーンに上映され、大きな歓声とともに、またその変化の大きさに驚愕の歎声も響き、大いに盛り上がりました

その後、当時のエピソード、近況報告等、6テーブルを巡っての賑やかな話の花が咲き、笑い声が渦巻いて3時間の時間を短く感じる大成功の集いとなり、長き人生のよき思い出の一頁を飾りました。

今回の同期会は、「人生総括的な集い」と位置づけていましたが、次回(第6回)開催については、5年後「傘壽」の満80歳到達時に、多くのメンバーが若し健在で参加可能であれば開催することとして、そのためには、全員が健康でボケない努力をすることを確認し、西方からの最遠方参加者の乾杯の音頭で盛会裡に閉会しました。
                                文責 幹事代表 光広 礼二

松前先生の手紙を読む桑原氏 一部のスナップ写真です

平成20年2月14日(木) 18:03〜  立町 丸海屋にて
次回は75歳到達時に開催することにしていましたが、かっては年2回程度の中型の飲み会をしていた経緯もあり、区切りの平成20年(=明治140年、昭和83年、紀元2668年)の年明けに、久しぶりに呑み会を開催して、お互いの健康と交友に感謝して、生き抜く力にしようということで、同期会を行いました。 31名の出席がありました。
欠席者のコメントを列挙しておきます。             幹事   光広 礼二  桑原 春義


・子年の良き年始めを迎え、健康に務めて暮らしたいと思 います。
・冬眠中につき欠席します。
・昨年から入院中。
・病気を治す為頑張っている。逢うことができず残念。
・忌中につき残念。
・体調が悪く病院通いの毎日です。
・会社は息子に譲ったが、多忙で飲食に制限があるので欠席。
・腰痛、間接炎でゴルフも出来ず、グランドゴルフに切り替
 えた。ラジコン飛行機は老化防止に継続中。
・ドクター・ストップで、相変わらずの状態。
・昨年、胃袋の手術したので、用心(禁酒)ため失礼。
・当日は、旅行中で出席できない。

以上ですが、全体的に体調不良者が多くなりました。お互いに健康には十分注意をして、毎日を明るくそして前向きに生活したいものです。


平成18年11月24日   (昭和30年卒)
古稀記念 第4回機械科同期会開催
平成18年11月24日11時30分より、広島市「ホテルセンチュリー21広島」において、県工機械科第57期(昭和30年卒業)の第4回同期会が、生徒48名が参集して、盛大に開催されまし。
 また、来賓として、岡野峰三先生、吉森秀夫同窓会事務局長が参加され、錦上花を添えて頂きました。

 本同期会は、平成6年3月、日本経済を支える現役中の開催と位置づけて第1回を開催して以降、 平成10年3月に、定年退職到達の謝意をこめて第2回、平成13年6月に、老人手帳受領記念(政府が“老人”として認めた)として第3回を開催しています。
 第4回となる今回は、70歳の“古稀”到達を祝し、人生の大きな節目に、昭和の激動を行き抜いて日本経済の発展を支えた“同期の桜”が、大いに語り飲み、それぞれの生涯のよき思い出の1ページにしようとして開催したものです。
岡野先生は、挨拶の中で本年“米寿”に達されたことに触れられて、古稀・米寿の縁起の良さに会場が沸き、また歌謡曲をも披露されました。
吉森事務局長からは、私達の時代の諸先生方の動向、母校の現状等が報告され、また、同氏が持参された当時のアルバムに、各人が紅顔の美少年時代?を思い起こし、その変化の大きさに驚愕したものです。

 会は大いに盛り上がり話に花が咲きましたが、次回(第5回)は、喜寿を見据えての5年後(75歳到着時)に、全員元気で再集結することを確認し、最遠方参加者の乾杯の音頭で盛会裡に閉会しました。



                      幹事 光広・渡部・桑原